日本初の女性弁護士、三淵嘉子さん。
2024年前期のNHK朝ドラ「虎に翼」のモデルになった女性です。
まだ女性が第一線で働くことが珍しかった時代。
三淵さんは弁護士という仕事をこなしながら、結婚・出産・再婚もしています!
三淵嘉子さんに子孫はいるのでしょうか?
いるとしたら、どういう人物なのか知りたいですよね。
最初の夫と死別した後に再婚している三淵さん。
連れ子の存在や家系図も気になります。
この記事では、三淵嘉子さんについて詳しく調べてみました。
Contents
三淵嘉子の子孫は残っているのか?
今現在の裁判官には三淵嘉子さんのような公平な裁きをする裁判官はいなくなっただろうな。 日本の裁判官まで中国に侵略されてるんやろな🤔
中国なんかに日本の国支配されていいのか?ほんとに… pic.twitter.com/u45n0ZABVO— ばんく🐰就活中 (@Poo2358) October 23, 2024
三淵嘉子さんと血のつながった子どもは息子一人だけ。
最初の夫である和田芳夫さんとの間に生まれた、和田芳武さんです。
芳武さんはのちに生物学者として論文を出すなど、活躍しています!
しかし結婚や子どもの情報がないので、生涯独身だった可能性が高いです。
その芳武さんですが、2020年頃にその生涯を閉じました。
したがって三淵嘉子さんの子孫はいないと考えられます。
三淵嘉子の再婚相手と4人の連れ子
#岡田将生 くんみたいな
イケメンいるわけが……と思って調べたら
寅ちゃんのモデルになった三淵嘉子さんの
再婚相手、三淵乾太郎さんが
イケメンだった件#虎に翼 pic.twitter.com/rYhmVFyPNK— 知覚カービィー (@miogto07) August 9, 2024
再婚相手や4人の連れ子について詳しく調べてみました。
再婚相手・三淵乾太郎
三淵乾太郎さんは、明治39年(1906年)12月生まれ。
初代最高裁判所長官・三淵忠彦の長男です。
最初の妻の祥子さんとの間に4人の子どもがいました。
その後祥子さんを病気で亡くしています。
嘉子さんが弁護士としての生活をスタートした頃、裁判官の三淵乾太郎さんと知り合います。
2人は仲を深め、そのうちに交際がスタートしました♪
1956年に結婚。
このとき、嘉子さんは41歳、乾太郎さんは50歳だったそうです。
お互いに中学生以上の子どもがいる状態での再婚でした。
ちなみに三淵乾太郎さんは自身も裁判官と立派な職業ですが、まわりにもすごい人たちが大勢いるんです!
乾太郎さんの実の弟2人が、萱野章次郎(千代田生命保険社長)、三淵震三郎(大東京火災海上保険常務)。
また縁戚には反町茂作、石渡敏一、石渡荘太郎、白仁武、近藤廉平、大久保利武ら政財界の大物が名を連ねています。
長女・那珂
嘉子さんと三淵乾太郎さんが再婚した時、長女の那珂(なか)さんはすでに結婚して家を出ていました。
乾太郎さんが嘉子さんにべったりだったので、それに反発していた那珂さん。
義理の母となった三淵嘉子さんとは折り合いが悪かったようです。
母が亡くなったとはいえ、父が他の女性にべったりな姿は見たくない気持ち…
理解できますよね!
次女・奈都
父と嘉子さんの再婚時、21歳だった奈都さん。
姓は森岡に変わったとの情報がありました。
しかし、残念ながらそれ以上の詳細は出てきませんでした。
三女・麻都
18歳だった麻都さん。
姓は大庭に変わったそうです。
奈都さんと同じく、詳しい情報は見つけられませんでした。
長男・力
14歳の長男、力さん。
嘉子さんの連れ子の芳武さんが当時17歳だったので、3つ上のお兄さんができたことになりますね。
初めて男の兄弟ができた力さん、心強かったのではないでしょうか♪
三淵嘉子の家系図
引用元:DRA FILM
三淵嘉子さんの家系図について調べてみました。
最初の夫である和田芳夫さんとの間には芳武さんしか子どもがいませんね。
夫の死後、三淵乾太郎さんと再婚しています。
配偶者と死別していた2人。
似た境遇だったことも距離を縮めるきっかけになったのかもしれません♪
家系図にも載っていますが、乾太郎さんには4人の連れ子が。
嘉子さんはいきなり5人の子どもの母となったんですね!
しかし、乾太郎さんと嘉子さんの間には、子どもはいませんでした。
裁判官と弁護士としてお互い忙しい身の上。
さらに50歳と41歳という年齢も、子どもがいない理由のひとつなのかもしれません。
ちなみに乾太郎さんの父は三淵忠彦さん。
なんと初代最高裁長官という人物でした。
女性初の弁護士として険しい道のりを切り開いていた三淵嘉子さん。
再婚相手が裁判官、その父が初代最高裁長官というのは心強かったのではないでしょうか。
再婚によって、大きな利を手に入れたと言えるかもしれませんね♪
三淵嘉子の最初の夫と一人息子
優三さんのモデルである和田芳夫さん。
「彼は回りにいた中で、もっとも気だての優しい、いい男でした」
(三淵嘉子の弟・武藤輝彦談)#虎に翼 pic.twitter.com/jRh21Wzwic— 楽日 (@KIraRakubi) May 24, 2024
三淵嘉子さんが最初に結婚した夫と、その間に生まれた一人息子について詳しく調べてみました。
最初の夫・和田芳夫
和田芳夫さんは、嘉子さんの父貞夫さんの中学時代の親友の甥だそう。
嘉子さんの実家である武藤家に、書生として出入りしていました。
勤労学生として明治大学の夜間部で学び、東洋モスリンに就職。
嘉子に見そめられ、1941年に2人は結婚しました♪
2年後には長男芳武が生まれますが、1945年に出征。
もともと体が丈夫ではなかったこともあり、戦地で肋膜炎にかかり入院します。
結局戦地には出ないまま帰国。
1946年5月に、長崎で戦病死しました。
嘉子さんのもとには知らせがうまく届かず、最期のときには会えなかったそうです。
わずか数年の結婚生活だったのですね…
一人息子・和田芳武
へえ、虎に翼の三淵嘉子のお子さん、本当に寄生虫学者なんだ。
和田芳武(1943年 – 2020年) ‐ 寄生虫研究者。東京大学伝染病研究所寄生虫研究部で佐々学に師事し、1974年より東京女子医科大学寄生虫学教室で研究を続けた[49][39]。2020年死去[50]。生来優しい性格だったといわれる。
— 黒瀬雄大 (@KuroseYudai) September 9, 2024
唯一、三淵嘉子さんと血のつながった存在だった和田芳武さん。
東京大学に進み生物学者として活躍しました!
さすが三淵嘉子さんの実子、東京大学とは素晴らしいです。
寄生虫研究者として、論文も出されていたそうですよ。
芳武さんは77歳で亡くなっています。
まとめ
- 三淵嘉子の子孫は現在残っていない
- 再婚した夫の連れ子は1男3女
- 家系図からわかる「元夫と実子」「再婚相手と連れ子」の家族関係
- 実子の和田芳武さんは東大卒の生物学者として活躍
女性初の弁護士として活躍した三淵嘉子さん。
唯一の実子である和田芳武さんが独身のまま亡くなったことで、子孫は残っていないと考えられます。
のちに再婚した裁判官の夫、三淵乾太郎さんには4人の連れ子がいました。
多感な年頃の子どもたちを抱えた再婚だったことから、連れ子との関係に苦労もあったようです。
家系図を見ると、嘉子さんと三淵乾太郎さんがそれぞれ配偶者と死別していることがわかります。
また乾太郎さんの父が、初代最高裁長官というのも驚きでした。
唯一の実子である和田芳武さんは、東京大学を卒業後生物学者に。
寄生虫研究者として論文も出すなど、素晴らしい活躍をしました♪
苦難を乗り越えて新しい道を切り拓いて行った三淵嘉子さん。
女性が活躍する時代の先駆けとなった人物でしたね!