【噂話】芸能News PR

三淵嘉子に子孫はいる?再婚した夫の連れ子や家系図について調査!

日本初の女性弁護士、三淵嘉子さん。
2024年前期のNHK朝ドラ「虎に翼」のモデルになった女性です。

まだ女性が第一線で働くことが珍しかった時代。
三淵さんは弁護士という仕事をこなしながら、結婚・出産・再婚もしています!

三淵嘉子さんに子孫はいるのでしょうか?
いるとしたら、どういう人物なのか知りたいですよね。

最初の夫と死別した後に再婚している三淵さん。
連れ子の存在や家系図も気になります。

この記事では、三淵嘉子さんについて詳しく調べてみました。

よつば
よつば
朝ドラで三淵嘉子さんのことを知った人も多いのではないでしょうか♪

三淵嘉子の子孫は残っているのか?

三淵嘉子さんと血のつながった子どもは息子一人だけ。
最初の夫である和田芳夫さんとの間に生まれた、和田芳武さんです。

芳武さんはのちに生物学者として論文を出すなど、活躍しています!
しかし結婚や子どもの情報がないので、生涯独身だった可能性が高いです。

その芳武さんですが、2020年頃にその生涯を閉じました。
したがって三淵嘉子さんの子孫はいないと考えられます。

よつば
よつば
もし子孫が残っていたら、すごい人物になっていたかもしれませんね!

三淵嘉子の再婚相手と4人の連れ子

再婚相手や4人の連れ子について詳しく調べてみました。

再婚相手・三淵乾太郎

三淵乾太郎さんは、明治39年(1906年)12月生まれ。
初代最高裁判所長官・三淵忠彦の長男です。

最初の妻の祥子さんとの間に4人の子どもがいました。
その後祥子さんを病気で亡くしています。

嘉子さんが弁護士としての生活をスタートした頃、裁判官の三淵乾太郎さんと知り合います
2人は仲を深め、そのうちに交際がスタートしました♪

1956年に結婚。
このとき、嘉子さんは41歳、乾太郎さんは50歳だったそうです。
お互いに中学生以上の子どもがいる状態での再婚でした。

ちなみに三淵乾太郎さんは自身も裁判官と立派な職業ですが、まわりにもすごい人たちが大勢いるんです!

乾太郎さんの実の弟2人が、萱野章次郎(千代田生命保険社長)、三淵震三郎(大東京火災海上保険常務)。

また縁戚には反町茂作、石渡敏一、石渡荘太郎、白仁武、近藤廉平、大久保利武ら政財界の大物が名を連ねています。

よつば
よつば
やっぱり頭の良さや人の上に立つ力っていうのは、遺伝するのかな?

長女・那珂

嘉子さんと三淵乾太郎さんが再婚した時、長女の那珂(なか)さんはすでに結婚して家を出ていました。

乾太郎さんが嘉子さんにべったりだったので、それに反発していた那珂さん
義理の母となった三淵嘉子さんとは折り合いが悪かったようです。

母が亡くなったとはいえ、父が他の女性にべったりな姿は見たくない気持ち…
理解できますよね!

よつば
よつば
長女なので、亡くなった母親との時間や思い出も一番多かったかもしれません…

次女・奈都

父と嘉子さんの再婚時、21歳だった奈都さん。
姓は森岡に変わったとの情報がありました。
しかし、残念ながらそれ以上の詳細は出てきませんでした。

三女・麻都

18歳だった麻都さん。
姓は大庭に変わったそうです。
奈都さんと同じく、詳しい情報は見つけられませんでした。

長男・力

14歳の長男、力さん。
嘉子さんの連れ子の芳武さんが当時17歳だったので、3つ上のお兄さんができたことになりますね。

初めて男の兄弟ができた力さん、心強かったのではないでしょうか♪

よつば
よつば
力さんは、芳武さんとどんな関係を築いたのかな?

三淵嘉子の家系図

引用元:DRA FILM

三淵嘉子さんの家系図について調べてみました。
最初の夫である和田芳夫さんとの間には芳武さんしか子どもがいませんね。

夫の死後、三淵乾太郎さんと再婚しています。
配偶者と死別していた2人。
似た境遇だったことも距離を縮めるきっかけになったのかもしれません♪

家系図にも載っていますが、乾太郎さんには4人の連れ子が。
嘉子さんはいきなり5人の子どもの母となったんですね!

しかし、乾太郎さんと嘉子さんの間には、子どもはいませんでした
裁判官と弁護士としてお互い忙しい身の上。
さらに50歳と41歳という年齢も、子どもがいない理由のひとつなのかもしれません。

ちなみに乾太郎さんの父は三淵忠彦さん。
なんと初代最高裁長官という人物でした。

女性初の弁護士として険しい道のりを切り開いていた三淵嘉子さん。
再婚相手が裁判官、その父が初代最高裁長官というのは心強かったのではないでしょうか。
再婚によって、大きな利を手に入れたと言えるかもしれませんね♪

よつば
よつば
仕事上でもステップアップにつながりそうなお相手ですよね

三淵嘉子の最初の夫と一人息子

三淵嘉子さんが最初に結婚した夫と、その間に生まれた一人息子について詳しく調べてみました。

最初の夫・和田芳夫

和田芳夫さんは、嘉子さんの父貞夫さんの中学時代の親友の甥だそう。
嘉子さんの実家である武藤家に、書生として出入りしていました。

勤労学生として明治大学の夜間部で学び、東洋モスリンに就職。
嘉子に見そめられ、1941年に2人は結婚しました♪

2年後には長男芳武が生まれますが、1945年に出征。
もともと体が丈夫ではなかったこともあり、戦地で肋膜炎にかかり入院します。

結局戦地には出ないまま帰国。
1946年5月に、長崎で戦病死しました。

嘉子さんのもとには知らせがうまく届かず、最期のときには会えなかったそうです。
わずか数年の結婚生活だったのですね…

よつば
よつば
子どもも生まれこれからって時に戦争、そのまま家族と生涯の別れ…つらすぎる

一人息子・和田芳武

唯一、三淵嘉子さんと血のつながった存在だった和田芳武さん。
東京大学に進み生物学者として活躍しました!

さすが三淵嘉子さんの実子、東京大学とは素晴らしいです。
寄生虫研究者として、論文も出されていたそうですよ。

芳武さんは77歳で亡くなっています。

よつば
よつば
多感な時期の親の再婚は、きっと気苦労も多かったでしょうね。

まとめ

女性初の弁護士として活躍した三淵嘉子さん。
唯一の実子である和田芳武さんが独身のまま亡くなったことで、子孫は残っていないと考えられます。

のちに再婚した裁判官の夫、三淵乾太郎さんには4人の連れ子がいました。
多感な年頃の子どもたちを抱えた再婚だったことから、連れ子との関係に苦労もあったようです。

家系図を見ると、嘉子さんと三淵乾太郎さんがそれぞれ配偶者と死別していることがわかります。
また乾太郎さんの父が、初代最高裁長官というのも驚きでした。

唯一の実子である和田芳武さんは、東京大学を卒業後生物学者に。
寄生虫研究者として論文も出すなど、素晴らしい活躍をしました♪

苦難を乗り越えて新しい道を切り拓いて行った三淵嘉子さん。
女性が活躍する時代の先駆けとなった人物でしたね!

よつば
よつば
勇気と行動力で新しい時代を切り開いた三淵嘉子さん、尊敬しちゃうな♪