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吉田拓郎の訃報は本当?現在(2024年)について徹底調査!

日本のシンガーソングライターの、草分け的存在となった吉田拓郎さん。
1970年代にはマイナーだったフォークやロックをメジャー化にすることに貢献しました。

日本の音楽業界においてさまざまな功績を残してきた吉田拓郎さんですが、訃報の噂が浮上しているようです。

なぜこのような噂が出たのか、真相を徹底調査しました。
また、2024年7月現在の様子についても併せてお伝えします。

よつば
よつば
なぜこのような噂が出たのか気になります!

吉田拓郎の訃報は本当?噂の理由3つを解説

結論から申しますと、吉田拓郎さんは2024年7月現在もご健在です!
SNS上でも吉田拓郎さんにまつわる噂についての投稿がたくさん見つかりました。

ではなぜ訃報の噂が浮上したのでしょうか?
ここからは訃報の噂が出た理由として考えられることを3つご紹介します。

訃報の理由3選
  1. 著名人の訃報と勘違いしたから
  2. 長年闘病していたから
  3. メディア露出が少なくなったから
よつば
よつば
ご健在にもかかわらず訃報の噂が出るほどの理由とは…?

①著名人の訃報と勘違いしたから

2020年頃より、日本の音楽業界を牽引してきた方々の訃報が聞かれるようになりました。
中には、吉田拓郎さんと縁のある方の訃報もあり勘違いしてしまった人もいたようです。

2022年7月、シンガーソングライターでタレントの山本コウタローさんが亡くなりました。
吉田拓郎さんの盟友であり『誰も知らなかった吉田拓郎』の著者としても知られています。

2022年12月にはかぐや姫の『神田川』などで知られる作詞家の喜多篠忠さんが逝去。
吉田拓郎さんとは共にキャンディーズの『やさしい悪魔』を手がけるなど、コンビで数々のヒット曲を生んできました。

2023年10月にはフォークグループ『アリス』のメンバーで歌手の谷村新司さんが亡くなっています。
吉田拓郎さんとも親交があり、共に昭和のフォーク時代を牽引してきた1人です。

②長年闘病していたから

吉田拓郎さんは過去に2度、癌による闘病をしていたことを公表しています。
これを受けて訃報の噂が流れたようです。

2003年4月には肺癌が見つかり、肺の3分の1を切除切除。
手術は成功したものの、歌手にとって重要な肺活量が大幅に落ちてしまったそう。
ボイストレーニングなどのリハビリに励み、ツアーに復帰できるまでに回復しました。

さらに2014年には咽頭がんが見つかり、2カ月間の放射線治療を受けています。
自身がパーソナリティを務めるラジオ番組では、治療後の後遺症について次のようにコメントしていました。

「(治療後は)食べ物はのどを通らない。声は出ない。のどは常に痛い。約半年間、苦痛の日々が続きました」

引用元:日テレニュース

つらい闘病生活を乗り越え、2016年にはステージ復帰されています。

③メディア露出が少なくなったから

1970年のデビュー以降、長きにわたり歌手やラジオパーソナリティーとして活躍してきた吉田拓郎さん。

75歳を迎えた2021年の夏に行われた全国ツアーをもって、コンサートなどのライブ活動終了を発表。
さらには2022年で音楽活動の一線から身を引くと同時に芸能活動引退を表明しました。

引退後は2023年2月の『オールナイトニッポン55周年特番』にゲスト出演して以降、メディア露出はありません。
近況がわからない状態となったため、訃報の噂が浮上したようです。

よつば
よつば
ラジオで吉田拓郎さんのトークが聴けなくなるなんて寂しい… 

吉田拓郎の現在は?

日本の音楽史において特筆すべき役割を果たした吉田拓郎さん。
芸能活動引退後も音楽プロデューサーや作詞作曲家として音楽活動を継続しています。

2024年5月、木村拓哉さんのニューアルバムに書き下ろしの新曲を楽曲提供。

2024年6月12日にはベストアルバム『Another Side Of Takuro 25』を発表しました。
1970年から1999年までの30年間に発表された約330曲の中から選曲されており、音楽人生を振り返った究極のベストアルバムと謳われています。

2024年7月からは自身が所属するavexの公式サイトでブログ投稿を開始。
『ラジオの青春』のタイトルで吉田拓郎さん本人が書き込みを行っています。
高校時代のエピソードから始まり、青春時代や音楽への思いが綴られていました。

よつば
よつば
『ラジオの青春』は曲を聴いているような感覚で楽しめるので、更新が待ちきれません!

吉田拓郎ってどんな人?

最後に吉田拓郎さんのプロフィールやこれまでの経歴についてご紹介します。

プロフィール

引用元:音楽ナタリー

本名吉田 拓郎(よしだ たくろう)
生年月日1946年4月5日(78歳:2024年7月時点)
出身地鹿児島県伊佐市生まれ
広島県広島市育ち

幼少期から歌謡曲好きな姉とジャズピアニストの兄の影響で、音楽に興味を持つようになったそう。
小学校高学年か中学生の頃、ウクレレを買ってもらったことで音楽を始めました。

高校時代には友人とバンドを結成し、ウクレレを担当。
この頃から作曲をはじめ、好きな女の子ができると曲を作って渡していたんだとか。

大学在学中には新しくロックバンドを結成し、ボーカルとギターを担当。
様々な大会にバンドやソロとして出場し、好成績を収めたことで地元では一躍有名人に。

経歴

1970年に『イメージの詩』でメジャーデビュー。
デビュー当時、作詞家・作曲家・歌手は分業が一般的でシンガーソングライターという言葉はなかったそう。

そんな中で自身で作詞作詞した曲を自分で歌う、新しいスタイルで活動を始めます。
このスタイルがフォークソングとして広がり、吉田拓郎さんはシンガーソングライターの草分け的存在となりました。

1971年にはラジオパーソナリティに就任。
吉田拓郎さんのライブでのしゃべり(MC)の面白さが起用の決め手でした。

1970~2020年代にかけては『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めます。
番組内では他のアーティストの曲も広く紹介し、楽曲プロモーションに大きく貢献。
ラジオを通してフォークソングやロック普及のために尽力しました。

1972年に発表した『旅の宿』『結婚しようよ』が大ヒット。
特に『結婚しようよ』のヒットがきっかけでフォークソングがメインカルチャーとして浮上したと言われています。

これを機に作曲家としても高く評価され、有名歌手への楽曲提供も行うようになりました。

1974年、森進一さんへ提供した『襟裳岬』が日本レコード大賞を受賞。
1970年代後半にはキャンディーズの『やさしい悪魔』、石野真子さんの『狼なんか怖くない』などの楽曲提供も行っています。

2021年、夏の全国ツアーをもってコンサートなどのライブ活動を終了すると発表。
2022年には音楽活動の一線から身を引くことを表明し、芸能活動を引退しました。

よつば
よつば
歌謡曲からアイドル歌手の楽曲まで、幅広いジャンルを手がけていたとは驚きです!

まとめ

今回は、吉田拓郎さんの訃報に関する噂の真相と現在の様子について調査しました。
結論としては、2024年7月現在もご健在で音楽活動を継続されていることがわかりました。

今後のご活躍からも目が離せません!

よつば
よつば
これからもお元気にご活躍されることを願うばかりです。