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矢野顕子の再婚相手は誰?子供の有無や離婚の原因を徹底調査してみた

独特の歌声と感性を持つ矢野顕子さん。
その歌声と自由なピアノ演奏に、心を奪われる人は多いことと思います。

40年以上に渡るアーティスト歴を誇る矢野顕子さんですが…

過去の再婚相手と子供は超有名人!

この記事では、矢野顕子さんの元結婚相手と子供についてまとめています。
馴れ初めや離婚原因についても調査しました!

よつば
よつば
長年活躍されている矢野顕子さんは、2度の結婚歴があるようです!

矢野顕子の再婚相手は大物ミュージシャン


矢野顕子さんは、2度結婚しています。

最初の結婚は矢野誠さん。
再婚となる2度目は、坂本龍一さんです。

それぞれの出会いや結婚生活を詳しくご紹介します。

矢野誠との出会い

引用:『Bio 矢野誠オフィシャルサイト』

矢野誠さんは、作曲家・編曲家・音楽プロデューサー・ピアニスト。
音楽の方面で、多彩な才能を発揮されている人物です。

矢野誠さんとは、

1974年に長男の妊娠を機に結婚
1979年に離婚

矢野誠さんとの出会いはバンド。

矢野顕子さんは「ザリバ」というバンドに在籍していました。
シングル「或る日/こわれた時計のように」の編曲を担当していたのが、誠さんです。

誠さんは矢野顕子さん1人にしか興味がなかったようで…
その後バンドは解散してしまいます。

矢野顕子さんは、1976年にソロデビュー。
つまり、デビュー前に結婚・出産を経験されているということですね。
そのため、デビュー当時にはすでに「矢野」姓になっていました。

離婚後も「矢野」姓を使っているのは…

デビュー時の名前が「矢野顕子」で、芸名として認知されているため。
世間で馴染みのある名前の方が良いので、変えずにいたとのことです。

矢野誠さんは、現在もライブ活動など音楽に携わり、活躍されているようです!

坂本龍一との出会い

引用:『commmons』

坂本龍一さんは、言わずとしれた世界的音楽家!
作曲家・編曲家・音楽プロデューサー・ピアニストとして幅広く活躍されていました。

日本人で初めてアカデミー作曲賞を受賞するなど、世界的にも評価されています。

そんな坂本龍一さんとは、

1980年に長女を出産
1982年に結婚
2006年に離婚

坂本さんは学生時代、2歳年上の女性と結婚して子供が1人いました。
そのため、お互いに再婚同士の結婚ですね。

矢野さんと坂本さんの出会いは、坂本さんが在籍していたYMOのワールドツアー。
矢野さんはこのツアーにサポートメンバーとして参加していました。

坂本さんの一目惚れだったのだとか…!

この出会いの9カ月前に、前夫の矢野誠さんとの離婚が成立していました。

そして坂本さんとの結婚前、1980年に長女を出産します。

坂本さんの前妻との離婚協議中に、矢野さんは妊娠。
「離婚が成立するまでは」とのことで、事実婚状態だったようです。

そのため、世間から「不倫」「略奪」と噂されていたとのこと…

そして2年後の1982年にやっと入籍します。

ところが、坂本さんは再婚後も、別の女性と関係を持っていました。
それはマネージャーの女性。

1990年、坂本さんのアメリカ進出に伴って夫婦でアメリカへ移住します。
しかし、このマネージャー女性も移住してきてしまいます。

その後、マネージャー女性との間に子供が生まれ…
矢野さんがいながらも、この女性とは事実婚状態だったといいます。

坂本さんは、この女性とは最後まで連れ添っています。
坂本さんのがん闘病も支えていたとのことで、信頼を寄せる相手だったようですね!

また、鶴田真由さんとの手つなぎデートもスクープされている坂本さん。
かなりモテるプレイボーイでした。

矢野顕子さんは、こうした坂本さんの女性関係を容認していたそうです。

それでも離婚はせず、14年もの別居生活を続けましたが…
2006年に正式に離婚となりました。

よつば
よつば
どちらの結婚も、幸せな時間は長く続かなかったのですね…

矢野顕子の子供は2人

矢野顕子さんには2人の子供がいます。

矢野誠さん、坂本龍一さんとの間に1人ずつ。
つまり、異父兄妹ということになりますね。

2人の子供について、それぞれ詳しくご紹介します!

矢野誠との間に息子が一人

矢野誠さんとの間には、一般人の息子が一人います。
名前は「風太」であることがわかっています。

矢野さんが坂本龍一さんと再婚した際に、「坂本風太」と苗字を変更。

2024年現在の情報では、客室乗務員として働いているとのこと。
結婚しており、2014年にお子さんが誕生しています。
矢野さんの初孫ですね♪

風太さんは家庭菜園をされているらしいですよ!

https://twitter.com/Yano_Akiko/status/1423324895027548160

お子さんと一緒に野菜を育てているのでしょうか♪
暖かい家庭を築いていらっしゃるようですね!

坂本龍一との間に娘が一人

坂本龍一さんとの間には、娘が一人います。
この娘さんは、歌手の坂本美雨さん。

「美雨」という名前は坂本龍一さんが付けたそうです。

9歳でアメリカへ移住し、高校卒業までアメリカ暮らしだった美雨さん。
そのため英語が堪能だそうです。

また猫好きであることを公言しています。
インスタグラムでも度々愛猫の写真を挙げているほど!

その猫の名前は「サバ美」と、なんともユニークですよね♪

 

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2014年に結婚し、翌年に長女を出産しています。
ご主人は美雨さんより1つ年下で、優しい方だそうですよ♪

そんな美雨さんは、16歳でデビューを果たしています。

デビューを果たした楽曲は、坂本龍一さんの「The Other Side Of Love」。
「坂本龍一 feat.Sister M」という名義で、父親とのコラボ楽曲となりました♪

また、矢野顕子さんともコラボしています。

「矢野顕子&坂本美雨」の名義で、「くまんばちがとんできた」という楽曲。

両親は離婚していますが、それぞれとの関係は良いようですね♪
ミュージシャンの両親の血を引き継ぎ、才能溢れるアーティストです!

音楽活動だけでなく、ナレーションや司会、女優、書籍の翻訳など幅広く活躍されています。

よつば
よつば
大物アーティストのご両親に負けない才能の持ち主ですね♪

矢野顕子がデビューに至るまでの経緯6つ

続いては、矢野顕子さんについて詳しく調べました!

デビューまでの道のりや幼少期のエピソードなど…
気になる点を一気にご紹介します。

矢野顕子はどんな人?
  1. 音楽好きは父親の影響
  2. 幼少期から才能開花
  3. デビューのきっかけ
  4. ついにデビュー
  5. ヒット曲
  6. 唯一無二の歌声
よつば
よつば
プロのアーティストになろうと思ったきっかけが気になります!

①音楽好きは父の影響

矢野顕子さんは、1955年東京生まれ。
本名は鈴木顕子

3歳の頃、医者である父の開業のため青森へ移住。
その後、ピアノ教室に通うようになります。

お父様はハワイの民族音楽、ラテンミュージックを好んでいたそうです。
矢野さんが中学生になると、よくジャズ喫茶へ連れていってくれたとか。
親子関係が良かったのですね♪

高校を中退している矢野さんですが…
お父様は怒ることもなく「しかたないんじゃない?」と温かく接してくれたようです。

②幼少期から才能開花

幼少期から即興演奏や既存曲のアレンジを得意とし、才能を見せていた矢野顕子さん。

小学校の高学年まではその教室でピアノを習いました。ただ、私は周りのどの子とも違っていた。譜面が読めないし、記憶するのも苦手。曲の最初の部分は覚えているんだけど、楽譜の2ページ目ぐらいから怪しくなってくる。でも「まぁいいや」って指の赴くまま即興で弾き続け、「そろそろかな?」と思ったところで終わる。最初の発表会がそうでした。辻褄(つじつま)を合わせるのがうまいのね。それは今もまったく変わらず、とても役に立ってるけれど(笑)。

引用:『朝日新聞DIGITAL』

あんなに凄いアーティストなのに、譜面が読めなかったのですね…!
最初の発表会で即興を披露するなんて、大物の貫禄です。

これが「矢野顕子スタイル」を生み出すきっかけとなるのですから、面白いですね♪

ところが、そのうちジャズが好きになり…
クラシックピアノをやる意味がないと感じて、ピアノ教室には行かなくなりました。

③デビューのきっかけ

矢野顕子さんは、軽音部に入るという夢を叶えるため単身で東京に戻ります。

青山学院高等部に進学し、高校でも音楽に関わっていた矢野さん。

1年生のときに学内で作曲コンクールがあり、ベースとドラムと組んだピアノトリオで自作曲を発表、優勝しました。青学は初等科から上がってきた「内部」の人と、私のように高校受験で入ってきた「外部」がいて、微妙に温度差があってね。外部の、しかも1年の女の子が優勝をかっさらった、っていうのですごく話題になった。「一体、何者だ?」って(笑)。そして、同級生たちが「いい曲だね」とか、私の存在が「励みになる」とか、ものすごく褒めてくれたんです。それまでも褒められたことはありましたが、直接に反応を感じたのは初めてだったし、自分のしたことが誰かの励みになるということがうれしかった。音楽でプロフェッショナルの道を歩む、それが自分にとって天職なんだと確信した出来事でした。

引用:『朝日新聞DIGITAL』

なんと、高校1年生で作曲し、学内のコンクールで優勝してしまいます!
友人たちから絶賛され、それがとても嬉しかったとのこと。

この出来事がきっかけで、音楽でプロの道に進むことを決意。
高校1年生ながら将来を見極める覚悟たるや…
芯の強さが伺えます…!

その後、レストランから仕事をもらうようになり、高校を中退しています。
才能溢れる矢野さんにとって、高校の音楽クラブでは満足できなかったのでしょう。

そしてジャズミュージシャンを目指し、父親の知人である安部譲二さんの自宅に下宿。
仕事で帰りが遅くなる娘を心配したお父様が、安部さんご夫婦を紹介したそうです。

安部夫婦はジャズクラブを経営していました。
矢野さんはここでセッションライブをこなしていたとか。

これがきっかけとなり、プロデビューへと繋がります。

④ついにデビュー

https://twitter.com/merurido/status/831762393625686016

高校を中退し、1974年18歳のときにバンド「ザリバ」のメンバーとしてデビュー
しかしその後すぐにソロに転向しています。

ソロとしてのデビューは1976年。
以降、大物アーティストとの共演、楽曲提供といった活動を行っていきます。

⑤ヒット曲

矢野顕子さんを一躍有名にしたヒット曲。
それは、1981年リリースの「春咲小紅」(はるさきこべに)です。
5枚目のシングルで、作詞が糸井重里さん、作曲が自身という楽曲。

糸井さんとは今でも親交が深いようです。

この曲はカネボウの化粧品CMソングとして起用され、多くの人々の耳へと届くことになりました。

その他、

  • ひとりぼっちはやめた
  • ひとつだけ
  • クリームシチュー
  • 悲しくてやりきれない

など、ヒット曲多数。

若い世代の方には馴染みがないかもしれませんが…
当時を知る世代には、懐かしい曲ばかりではないでしょうか♪

⑥唯一無二の歌声

矢野顕子さんは弾き語りに定評があります!

ジャズクラブでのセッション経験もあり、自由なピアノ演奏と唯一無二の歌声。
ユーモア溢れる音楽は、瞬く間に聴く人を惹きつけます。

2024年5月現在も、アメリカ在住の矢野顕子さん。
しかし、毎年年末には必ず日本へ帰国しています。
そして「さとがえるコンサート」を開催。

年末恒例のこのコンサートは、デビュー20周年を迎えた1996年から続いています。

よつば
よつば
幼い頃から才能が溢れていたのですね!

まとめ

今回は魅力的なアーティスト「矢野顕子」さんについてご紹介しました。

最初の結婚も再婚も、音楽に携わるお相手でしたね。
きっと音楽が好きなもの同士、惹かれあうものがあったのでしょう♪

決して幸せとは言えない結婚生活でしたが、子供との関係は良好のよう。
音楽活動も変わらず続けておられ、幸せな日々を送っているご様子です。

今後の活躍も目が離せませんね!

よつば
よつば
矢野顕子さんという素晴らしいアーティストについて知れました♪