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藤圭子の長男や旦那はどんな人?家族と壮絶な生涯について徹底調査!

藤圭子さんは日本の演歌歌手として知られていますね。
代表曲である『新宿の女』や『女のブルース』は聞いたことがある人も多いかと思います。

日本を代表する歌手である藤圭子さん。
そんな彼女の長男旦那はどんな人なのかご存じでしょうか?

今記事では、そんな藤圭子さんの家族構成や生涯について解説します。

調査する中で、藤圭子さんの壮絶な生い立ちが見えてきました…!

よつば
よつば
藤圭子さんの生い立ち、気になりますね。

藤圭子の長男はどんな人?

藤圭子さんに長男がいるという情報はありません。

藤圭子さんの家系は「芸能一家」として知られているため、長男の存在があれば何かしら情報があることでしょう。

ちなみに藤圭子さんには長女が一人いることが分かっています。

長女は有名なシンガーソングライター

引用:宇多田ヒカル公式HP

なんと、藤圭子さんの長女はシンガーソングライターの宇多田ヒカルさんです。
透き通った歌声や独特な歌詞が印象的ですよね。

宇多田ヒカルさんは1983年1月19日にアメリカで誕生しました。

当時、藤圭子さんは網膜色素変性症を発症。
視力が低下していくことに不安を抱えていました。

そこで「我が子から光が失われないように」という思いを込め、「光」と命名したそうです。

そんな宇多田ヒカルさんは15歳で芸能界デビュー。
1stシングルである「Automatiic/time will tell」はダブルミリオンという大ヒットを記録しています。

2007年発売の「Flavor Of Life」は、当時のデジタルシングルのセールスで世界1位に!
世界に認められる歌手へと成長していきました。

2010年には「人間活動」と称し6年間の活動休止を発表。
その間に結婚・出産をしていることが分かっています。

2024年現在は精力的に歌手活動を行っており、6年ぶりとなる全国ツアーを開催しました。

大勢のファンがライブで盛り上がった様子。

今後の活躍にも期待ですね!

よつば
よつば
宇多田ヒカルさん、わたしも大好きです!

藤圭子の旦那はどんな人?

藤圭子さんの旦那は音楽プロデューサーの宇多田照實(うただ てるざね)さんです。

宇多田照實さんは中学卒業後16歳で渡米。
ベトナム戦争へ参加するという異色の経歴の持ち主です。

音楽業界への第一歩は、後の妻である藤圭子さんのマネージャーになったことだそう。

その後は音楽プロデューサーとして、数々の著名人に楽曲提供を行っていました。
楽曲提供を受けた著名人の中には、有名作曲家の久石譲さんも!

藤圭子さんと結婚したのは1982年のことです。

しかし、その結婚は円満なものではなかったようでした…。

7度も繰り返される離婚劇

1982年に藤圭子さんと宇多田照實さんは結婚しました。
その結婚生活は2007年まで、およそ25年間続いたのですが…

その間繰り返した離婚・再婚の数はなんと7回!

原因は宇多田照實さんの女癖の悪さとのこと。
また仕事や育児について意見の食い違いでも、よく喧嘩になっていたそうです…。

この離婚・再婚騒動について、宇多田照實さんは以下のように語っています。

「ささいなことで口論になって、お互いが意地を張って、そのまま離婚しちゃって。
あとで『寂しいなあ、何であんなことになったんだろう』って。あとで『あれっ』と2人とも思って、『別にこんなことで離婚する必要なんかなかったよな』って思った時に、また入籍してた」

引用:アサ芸プラス

お互いの思い切りの良さが裏目に出ているようですね。
あるときは、離婚から1週間後に再婚したこともあったそうです。

よつば
よつば
7回も離婚・再婚を繰り返されるなんて驚きですね!

元旦那は有名歌手

藤圭子さんは、宇多田照實さんと結婚する前に別の男性と入籍していました。

その人物は日本の有名歌手・前川清さんです。

引用:前川清 公式HP

藤圭子さんと前川清さんが結婚したのは1971年のことでした。

しかし、当時音楽業界で売れっ子だった2人。
その忙しさから私生活において一緒に過ごす時間はなく…。
すれ違いの日々を送ることになります。

その積み重ねで結婚生活はたった1年で幕を閉じたのでした。

この結婚生活について、前川清さんは後に「実態のないものだった」と語っています。

スターゆえのすれ違いによる離婚はさみしいものを感じますよね。

よつば
よつば
別の形で会っていたら上手くいっていたのでしょうか…。

藤圭子の兄弟・両親について

藤圭子さんの子供、旦那について解説してきました。
皆さん音楽業界で活躍していることが分かりましたね。

そんな音楽一家として有名な藤圭子さんなのですが…
藤圭子さんの兄弟や両親も音楽のお仕事をしていることが分かりました!

  1. 演歌歌手の実兄
  2. 浪曲師の実父
  3. 三味線瞽女(ごぜ)の実母

世代を超えて音楽活動に携わっているのは驚きですよね。

順番に解説していきます。

①演歌歌手の実兄

藤圭子さんの実兄は、演歌歌手として活躍する藤三郎さんです。

藤三郎さんは1970年に歌手デビュー。
藤圭子さんが芸能界入りした翌年のことでした。

シングル曲を3枚発売するのですが、売れることなく翌年に一度引退されています。

その後は浅草で飲食店などを経営し、ギターの弾き語りでお客さんをもてなしていたそう。
そして2022年に51年ぶりとなる新曲を発表し、芸能界復帰を果たしています。

曲名は「浅草の夜」

この曲のテーマは、亡き妹である藤圭子さんとの思い出の地である浅草。
自身で作詞・作曲を行ったそうです。
「天国の妹に聞かせたい」と藤三郎さんは語っています。

2024年9月現在74歳となった藤三郎さん。
今もギターを片手にライブ活動などを積極的に行っているようでした。

これからの活躍が楽しみですね!

よつば
よつば
兄妹愛を感じますね!素敵です。

②浪曲師の実父

藤圭子さんの実父は、浪曲師の松平国二郎こと阿部壮さんです。

浪曲とは、明治時代初期から始まった芸の一つです。
三味線を伴奏を元に物語を唄う演芸を指します。

父・阿部壮さんは、藤圭子さんら家族を連れて北海道~東北を中心に巡業。
一方で左官の仕事も請け負い、懸命に家計を支えていたと語られています。

それでも家計は苦しく、一家はその日暮らしの生活をされていたそうです。

藤圭子さんが幼少期から苦労されていたことがうかがえますね。

よつば
よつば
日本の古き時代が垣間見えますね。

③三味線瞽女(ごぜ)の実母

藤圭子さんの実母は、三味線瞽女(ごぜ)の竹山澄子こと阿部澄子さんです。

瞽女(ごぜ)というのは盲目の音楽奏者のことを意味します。
母・阿部澄子さんは目が見えなかったのですね。

3代続いて音楽に携わるなんて、すごいことですよね。

また、藤圭子さんと母・阿部澄子さんは非常に仲が良かったそうです。

しかし藤圭子さんが歌手デビューをし、大金を稼ぐようになってから金銭トラブルが勃発。
絶えないトラブルに嫌気がさし、藤圭子さんは母・阿部澄子さんと絶縁しています。

ちなみに母・阿部澄子さんは2010年に肝ガンで亡くなったことが報じられました。
しかし藤圭子さんは看取るどころか、葬儀にすら出席しなかったそうです。

よつば
よつば
絶縁なんて、よっぽどのトラブルだったんですね…。

藤圭子の生涯

藤圭子さんはどんな生涯を送ってきたのでしょうか?
調査したところ、今では考えられない壮絶な人生を送ってきたことが分かりました。

  1. 出生~極貧の幼少時代
  2. 18歳で芸能界デビュー
  3. 病気により引退を決意
  4. 藤圭似子として再デビュー
  5. 最期

ひとつずつ解説します。

①出生~極貧の幼少時代

藤圭子さんは1951年7月5日、岩手県で3人兄弟の末っ子として産まれました。

一家は浪曲師として各地を巡業。
しかし収入は少なく極貧そのものだったそうです。

幼い藤圭子さんは、兄と一緒に豆腐や納豆を売ったり、演歌を人前で歌ったりしていました。
懸命に生活を支えていたのですね。

また、当時から抜群の歌唱力と美貌を持ち合わせていた藤圭子さん。
北海道の岩見沢市の旅館で、住み込みの専属歌手として歌っていたこともあったそうですよ。

藤圭子さんは歌唱力だけでなく、勉強も大好きで成績優秀。
しかし家計を支えるために高校進学は断念したとの情報もありました。

②18歳で芸能界デビュー

藤圭子さんの芸能界デビューのきっかけは、1967年2月。
北海道の岩見沢市で行われていた「雪祭り歌謡大会」での出来事でした。

藤圭子さんは、代役として急遽出演することに。
そこで北島三郎さんの「函館の女」を披露します。

それを偶然聞いていた作曲家・八洲秀章さんが藤圭子さんをスカウト

そして1969年9月25日、「新宿の女」という曲で芸能界デビューを果たしたのです。

また、その美貌から「アイドル歌手」として人気を集めるようになりました。
「週刊少年マガジン」の表紙を務めたこともあったそうですよ♪

美しいながらも哀愁がある、不思議な女性を思わせますよね。

当時の日本における「女性の生きづらさや嘆き」を表現した藤圭子さんの歌声は、多くの人から評価されたのでした。

また、藤圭子さんが当時受賞した経歴も調べてみました。

  • 第1回日本歌謡大賞 大賞
  • 第12回日本レコード大賞 大衆賞
  • 第3回日本レコードセールス大賞
  • 第3回日本有線大賞 優秀スター賞
  • 第8回ゴールデン・アロー賞大賞(演歌歌手としては初)

たくさんの賞を受賞されていました!
とても実力のある歌手であったことが分かりますね。

よつば
よつば
輝かしい功績を残されているんですね!

③病気により引退を決意

1974年、藤圭子さんは喉にポリープが見つかります。
その手術の影響で歌声が思うように出せなくなり、引退を考えるようになりました。

そして、1979年に新宿コマ劇場の「10周年記念リサイタル~圭子のすべて!」という公演にて引退を発表。

劇場では「普通の女になりたい」と語っていたそうです。

その後、藤圭子さんはアメリカへ渡っています。

④藤圭似子として再デビュー

藤圭子さんは1981年にアメリカから帰国。
新たに藤圭似子として「螢火」というシングル曲を出し、芸能界復帰を果たしています。

手術後とは思えない声の美しさに驚かされますね!

周囲から歌手復帰をするよう何度も説得され、もう一度歌手をやることにしたんだそうです。

その後は積極的にテレビに出演。
当時のヒット曲「女のブルース」を歌唱する姿が多くみられました。

あの有名演歌歌手、八代亜紀さんとコラボすることもあったそうです!

よつば
よつば
豪華な2人の演出、ぜひ見てみたいです♪

③最期

1998年、長女の宇多田ヒカルさんが歌手デビュー。
これと入れ替わるように、藤圭子さんはテレビ出演やステージでの演出が減っていきました。

そして2013年8月22日、都内の自宅で亡くなっているのが発見されました。
衣服の乱れや部屋に荒らされた形跡がなかったことから、警察は自死と判定。

火葬は近親者のみで執り行われ、後日ファンを招いた「しのぶ会」が施行されました。

宇多田ヒカルさんは当時、母・藤圭子さんの訃報について以下のように語っています。

”彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。
家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。

母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。

悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。母の娘であることを誇りに思います。”

引用:宇多田ヒカル公式HP

また、旦那である宇多田照實さんも次のように発表。

”出会った頃から彼女には感情の不安定さが見受けられましたが、心を病んでいるというよりも、類い稀な『気まぐれ』な人としか受け止めていませんでした”

”純子として覚悟の上での投身自殺だったのか、衝動的に飛び降りてしまったのか、今となっては知りようがありません。最終的に僕から救いの手を差し伸べられなかった悔しさ、大切な人間を失った悲しさでいっぱいです”

引用:宇多田ヒカル公式HP

精神疾患を患っていたという藤圭子さん。
それに対し、家族は真摯に向き合ってきたのですが…とても残念な結果を迎えてしまいました。

藤圭子さんの訃報は当時、ニュースでも大きく報じられたのを覚えています。

藤圭子さんは最期、何を思っていたのでしょうか…。

よつば
よつば
悲しすぎる最期です…。

生い立ちまとめ

藤圭子さんの生い立ちをまとめました。

1951年岩手県にて3人兄弟の末っ子として誕生
1969年「新宿の女」で歌手デビュー
1971年前川清と結婚
1972年前川清と離婚
1974年喉のポリープ切除の手術を受け、芸能界を引退し渡米
1979年「藤圭似子」として再デビュー
1982年宇多田照實と結婚
1983年長女・宇多田ヒカルを出産
2007年宇多田照實と離婚
2013年死去

波乱万丈な人生が見て取れますね。

よつば
よつば
壮絶な生涯です…!

まとめ

以上、藤圭子さんの長男や旦那、生涯について調べてみました。

家族全員が音楽にたずわさっていることが分かりましたね。

また極貧の幼少時代をはじめ、壮絶な人生を歩んでいることも見て取れました。

まだまだ女性の立場が低く、生きづらさを感じる昭和の時代。
精神疾患を患いながらも、自分の生き方を貫いた藤圭子さんがかっこよく見えました。

よつば
よつば
藤圭子さんの数々の名曲、忘れません。