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フジテレビ社長は歴代14人いる!噂の2大権力など歴史を徹底調査

2025年になってから大騒動を起こしたテレビ局フジテレビ
テレビ局が倒産するかもしれない正念場を迎えていますよね。

そのフジテレビは一体どんな社長によって歴史が作られてきたのでしょうか。
ニュースでたまに聞く2大権力とはなんだったのか詳しく解説!

フジテレビ問題を語る上で欠かせない権力問題の構造とは?
社風を作ったとも言える歴代社長を調べてみました。

フジテレビの歴代社長14人

まずはフジテレビの歴代社長をまとめました。

名前就任時年齢在任期間在任年数
水野成夫58歳1957年 – 1964年7年
鹿内信隆50歳1964年 – 1974年10年
浅野賢澄58歳1974年 – 1982年8年
石田達郎64歳1982年 – 1985年3年
羽佐間重彰57歳1985年 – 1988年3年
日枝久51歳1988年 – 2001年13年
村上光一61歳2001年 – 2007年6年
豊田皓61歳2007年 -2013年6年
亀山千広57歳2013年 – 2017年4年
宮内正喜73歳2017年 – 2019年2年
遠藤龍之介 63歳2019年 – 2021年2年
金光修 67歳2021年 – 2022年1年
港浩一 70歳2022年 – 2025年3年
清水賢治 64歳2025年 –在任中

気になるのは在任年数が極端に長い人が2人いました。
鹿内信隆氏・日枝久氏です。
2人を除いた方の平均在任期間は3〜4年程度なのに対して10年以上も社長の座を譲らなかったことがわかりました。

また、就任時の年齢も他の方に比べると50歳と若いですよね。
実はこの2人がフジテレビの歴史に大きく影響を及ぼしていました。

よつば
よつば
2人だけ期間が長いのが気になります!

フジテレビの2大権力とは?

フジテレビ歴代社長一覧でもふれたフジテレビの権力構造について解説します。

フジテレビの2大権力
  1. 30年帝国状態だった鹿内氏
  2. 37年天下が続いた日枝氏

この2人がどのように権力を得たのか、歴史をまとめました。

①鹿内氏

初代社長の水野氏と2代目社長の鹿内氏が立ち上げたと言っても過言ではないフジテレビですが、立ち上げ後に波乱が待っていました。

初代社長の水野氏はフジテレビ立ち上げと時を同じくして東京進出後に経営不振となっていた産経新聞社を引き継ぎました。
この時、2代目社長の鹿内氏も産経新聞社の役員になっています。

水野氏が引き継ぐという事はニッポン放送が権力を持っていたという事になりますよね。
しかし、水野氏は産経新聞社の経営に失敗してしまい、体調が悪化

2人は志を同じくした同志だったはずですが、2代目社長の鹿内氏がフジテレビ・産経新聞社のフジサンケイグループを掌握する事になりました。

そして、最終的には自身の出身会社であるニッポン放送を頂点としたグループ企業を構築し、いわゆる鹿内帝国が出来上がったのです。
その後、鹿内氏は長男の春夫氏、娘婿の宏明氏と共に会長職を引き継ぎ、鹿内ファミリーが支配する時代が1992年まで約30年も続きました。

よつば
よつば
30年は長すぎます…

②日枝氏

鹿内ファミリーの支配を終わらせたのが6代目社長となった日枝氏。
昨今のフジテレビ問題で名指しで批判されている人物です。

日枝氏は1961年にフジテレビに入社。
フジテレビ開局4年目のことでした。
入社時から特別だった訳ではなく、あくまで一般社員。
日枝氏は労働組合が必要と感じ、労働組合を結成するべく必死に動いていました。

しかし、労働組合といえば経営陣から疎まれるものですよね。
日枝氏は経営陣から敵とみなされ対立。
社員の待遇や労働環境の改善に尽力しましたが、出世の道から大きく外れてしました。

そんな日枝氏に変化があったのは1980年。
鹿内社長の息子である春生氏がフジテレビの副社長に就任し、若者向けの企画を押し出す事になりました。
そして抜擢されたのが日枝氏。

この時生まれたキャッチフレーズがあの有名な「楽しくなければテレビじゃない」です。
この後、10数年にわたって視聴率三冠王を取るなど若者の絶大な人気を獲得していきます。

しかし、抜擢してくれた春生副社長が急死してしまったことで、父親の2代目社長の鹿内氏がグループ会社の会長に復帰。
同じタイミングで日枝氏の功績が評価されフジテレビの社長に就任します。

2代目社長の鹿内氏が亡くなると、娘婿の宏明氏が会長を引き継ぎました。
この宏明氏の経営がワンマンで敵対する者が現れ始めます。
その勢力を反体制派としてまとめたのが日枝氏。

鹿内ファミリーと思われる人を徹底的に排除したことでグループ全体を自分のものとしました。
これがいわゆるクーデターと呼ばれ、2025年現在まで37年に渡って日枝氏の権力掌握が続いています。

よつば
よつば
2人の権力が大きかったんですね!

フジテレビの成り立ち

フジテレビは1959年に全国に番組を発信するテレビ局・放送ネットワークの中心となる放送局の東京キー局として4番目に開局しました。
ちなみにキー局としては4番目でも地方局を合わせると45番目の開局になります。

話が少し逸れますが開局1〜3番は下記の通りです。

テレビ局開局順1〜3位
  1. NHK東京 1953年2月開局
  2. 日本テレビ 1953年8月開局
  3. NHK大阪 1954年2月開局

元々はラジオ局のニッポン放送と文化放送の2社によってテレビ局を開局させようとしていました。
そこに映画会社として有名な株式会社東宝・株式会社松竹・大映株式会社の3社も出資。
5社の合弁で立ち上げたのがフジテレビです。

当時の文化放送ニッポン放送専務だった鹿内信隆氏(2代目社長)が庶民に愛されるものとなるような名前を考案。
日本人は「桜」や「富士山」が好きだから『富士テレビ』と仮名称をつけたのが社名の由来になっています。

しかし、先に開局していた民放テレビ局の日本テレビ(6年前)・TBS(4年前)は既にブランドを確立。
フジテレビは苦戦を強いられると思われていました。

日テレ・TBSのブランド
  • プロレス中継の日テレ
  • ドラマのTBS

これに対向すべく生み出されたキャッチフレーズが「母と子のフジテレビ」。
日テレやTBSが視聴者から見たテレビ局イメージだったところを、テレビ局が誰に向けて作っているのかを表現したものにしました。

よつば
よつば
フジテレビといえばのキャッチフレーズは実は開局当初からあったんですね。

まとめ

2025年の衝撃の幕開けからずっと続いているフジテレビ問題。
第三者委員会で性被害については白・黒の結論が出ても、問題はフジテレビの組織にあるのは明白ですよね。

長すぎる権力掌握によって企業が間違った方向に進んできたとは思いたくないですが、チャンネルさえ合わせてしまえば見れるのかテレビ。
見たくない情報も入ってくる中で放送が個人や株主だけに私物化されないことを願います。

よつば
よつば
これを機に生まれ変わって欲しいものです。