司会や歌手などマルチタレントとして活躍した高島忠夫さん。
「クイズ・ドレミファドン!」で生まれた「イエーイ!」のフレーズは、高島忠夫さんの代名詞ともいわれています。
そんな高島さんは、1963年に女優の寿美花代さんと結婚。
翌年には長男の高島道夫ちゃんが誕生しました。
しかし当時5か月の道夫ちゃんは、家政婦によって殺害されるという事件が起きてしまったのです。
今回は道夫ちゃんを殺害した家政婦の現在と、事件の全貌をご紹介します。
道夫ちゃんを殺害した家政婦の現在は?
高島忠夫夫妻の長男がお手伝いさんに殺害された事件の第一報(朝日新聞) pic.twitter.com/0UpdfnRD8I
— 富岡蒼介 (@fu4gicom) May 26, 2021
1964年8月24日、当時17歳だった家政婦は道夫ちゃんを殺害し逮捕されました。
家政婦は模範囚だったようで1968年に仮出所。
出所から2年後の1970年に結婚し、子供が誕生しているといいます。
結婚相手は、事件のことを知ったうえで結婚を申し込んだのだとか。
現在家政婦はどのように暮らしているのかはわかりません。
ただ、年齢的にも孫がいてもおかしくないです。
高島道夫ちゃん殺害事件の全貌
神田うの ベビーシッター盗難事件で思い出す人も多い「高島忠夫長男殺害事件」とは? http://t.co/lBd9nMXsQb pic.twitter.com/75xvfiwpAg
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生後5か月の幼い命が奪われた事件はどうして起きてしまったのでしょうか。
事件当時の状況を解説します。
事件当日
事件当時、高島忠夫・花代夫妻と道夫ちゃんのほかに3人の女性と同居していました。
- 道夫ちゃんの世話役として雇われた29歳の看護師
- 高島家の親戚筋に当たる69歳女性
- 家政婦の17歳女性
高島夫妻は2階の寝室に寝ており、道夫ちゃんは1階で看護師と寝ていました。
17歳の家政婦は道夫ちゃんの寝ている部屋に行き、抱き上げてあやしていたそう。
その後、道夫ちゃんを水の入ったバスタブに沈めて溺死させたのです。
さらに17歳の家政婦は部屋を荒らし、ドアや窓を開け偽装工作をしていました。
家政婦の不自然な証言

当時17歳の家政婦は「道夫ちゃんが見当たらない!」と騒ぎ立て、全員で家中を探し回りました。
そして花代さんがバスタブを開けると、沈んだ状態の道夫ちゃんを発見。
その後急いで近所の小倉医院へ連れていきましたが、そのまま命を引き取りました。
警察は殺人事件として捜査を開始。
最初に事件に気付いた17歳の家政婦に話を聞くと、不自然な証言が明らかになったのです。
- 「窓の外を不審な男が歩いてるのを見た」と証言したが、他に不審者を見た人はいない
- 「道夫ちゃんが激しく泣いているのを聞いた」と証言したが、他に道夫ちゃんの泣き声を聞いた人はいない
このほかにも、不自然な点が次々と明らかに。
- 高島家では犬を飼っており、不審者が近づくと吠えるが事件当時犬は吠えていなかった
- 普段、全員が風呂に入り終わった後に17歳家政婦が浴槽のお湯を抜く役割だったが、当日はお湯が抜かれていなかった
- 犯人が物取り目的で押し入ったとして、生後5カ月の子に姿を見られても証人にならないので殺害するのは不自然。
- 仮に泣き声によって犯行が発覚するのを恐れて殺害をしたとしても、浴槽に沈めた後わざわざ風呂の蓋を閉めて立ち去るのは不自然。
こうした点が見つかり、警察は17歳家政婦を問いただしました。
すると自分の犯行であると認めたため、8月24日午後1時半頃に逮捕されたのです。
犯行動機

17歳家政婦はなぜ幼い子供を殺めてしまったのでしょうか。
それは強い嫉妬によるものでした。
- 高島夫婦の愛情を独り占めしたかった
- 道夫ちゃんがいなくなれば29歳看護師は必要なくなると思った
- 自分だけのけ者にされていると思い込んだ
高島家の家政婦として雇われ、まじめに仕事をこなしていた17歳家政婦。
1965年6月からは、芸術座の公演に出演する高島さんの付き人もしていました。
高島さんはお礼として高級な食事をごちそうしたり、ブランド品をプレゼントするなどしてねぎらっていたといいます。
しかし、17歳家政婦が高島さんの付き人をしている間に、高島家では親戚筋の69歳女性を家政婦として雇用。
さらに花代さんが出産後、道夫ちゃんのベビーシッターとして29歳看護師も新たに迎え入れました。
看護師の女性は大学病院での勤務経験もあり、病気やけがの際の対応を任せられる頼もしい存在でした。
高島夫婦は看護師の女性に対し、厚い信頼を寄せていたそうです。
これを見ていた17歳家政婦は、看護師に対して激しい嫉妬心を抱くように。
そして、芸術座の公演が終わった後、8月28日から高島夫婦は休暇として1ヶ月の海外旅行に渡る予定でした。
「自分も付き人として一緒に行けるかもしれない」と期待していた17歳家政婦。
しかし、実際にはそのような誘いはありませんでした。
それどころか、高島夫婦は看護師にだけ「お土産をたくさん買ってくるから、道夫ちゃんをよろしくね」と言っているところを聞いてしまったのです。
さらに、事件の終日前には17歳家政婦が風邪をひき、花代さんから「うつると大変だから、道夫ちゃんには近づかないでね」と言われたそう。
このことから「私だけのけ者にされてる」「看護師が奥様に私を近づけないようにと吹き込んだんだ」と憎しみを募らせていきました。
そして「道夫ちゃんがいなくなれば看護師も高島家にいる理由がなくなって解雇される。」
「そうすればまた夫婦は私を頼ってかわいがってくれるはず」との思いから、犯行に及んだのです。
事件後の高島夫婦の苦しみ
高島忠夫さんが乗り越えた多くの不幸、長男殺害・うつ病・パーキンソン病(週刊女性PRIME) https://t.co/sDfSpzV7xU pic.twitter.com/bDltoiG8uB
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花代さんは2013年6月13日に放送された「独占密着!真実の高島ファミリー」に出演。
事件について未だに後悔していると苦しい胸のうちを明かしています。
「私が一緒に寝ていれば、あんな悲劇は起きなかった」と自分を責める日々。
事件後はお風呂の際もシャワーしか浴びられなくなってしまったそう。
また、世間から「幼児を置いて旅行にいくなんておかしい」
「そんな家政婦を雇ったのが悪い」などといった非難が殺到したのです。
さらに追い打ちをかけるように、子供の泣き声や「ママ苦しいよー」といったいたずら電話が頻繁にかかってくるように。
高島夫婦はさらに追い詰められていきました。
17歳家政婦の生い立ち

- 昭和22年生まれ
- 新潟県佐渡島出身
17歳家政婦の子供の頃は4人姉妹の末っ子として誕生。
中学時代の成績は普通で、あまり目立つタイプではなかったのだとか。
それでも、「勝気」「世話好き」「はっきりものをいう」といった周囲の印象があったようです。
16歳の時に集団就職で上京。
墨田区の工場で働いていましたが、工場の移転に伴い3ヶ月で退職しています。
そんな時、知人から高島夫婦の家政婦を探していると知ります。
もともと宝塚の大ファンだった17歳家政婦は応募し、住み込みで働くことになったのです。
まとめ
- 逮捕後、仮出所中の1970年に結婚し、子供を出産している
- 現在はどのように暮らしているのかはわからない
- 殺害動機は看護師に対しての強い嫉妬によるもの
17歳家政婦は仮出所の2年後に結婚し、子供ももうけています。
現在の様子はわかりませんが、2025年で78歳になる年です。
どんな理由であれ、わずか生後5か月の幼い命を奪ったことは決して許されることはありません。
2019年6月26日に老衰のため88歳でこの世を去った高島忠夫さん。
天国で道夫ちゃんと再会していることを願うばかりです。














