1982年8月19日に起こった「松山ホステス殺害事件」の犯人である福田和子。
「7つの顔を持つ女」といわれ、整形や偽名を使い、全国を逃げ回っていました。
しかし、14年344日の長い逃亡生活の後に逮捕。
無期懲役を言い渡されましたが、57歳で亡くなっています。
今回は、福田和子の死因や家族について調査してみました。
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福田和子の死因は?
#仰天ニュース
松山ホステス殺人事件の犯人、福田和子。
15年に及ぶ逃避行がクローズアップされる事が多い。
一方で、彼女は「松山刑務所事件」の被害者でもあった。 pic.twitter.com/imEJNcSWQJ— Saitoh Masaya (@MS3110) November 12, 2024
当時服役中だった福田は2005年2月、刑務所内での工場の作業中にくも膜下出血で倒れ緊急入院。
意識が回復することがないまま3月10日、入院先である和歌山市内の病院で息を引き取りました。
死因は脳梗塞で、享年57歳でした。
福田和子の家族構成
福田は2回の結婚歴があり、4人の子供をもうけています。
- 最初の結婚
長男・長女 - 2度目の結婚
次男・次女
1度目の結婚は1968年、福田が20歳の時に結婚。
元旦那は福田の1歳年上で、板前をしていました。
2人の子供に恵まれるも、結婚から5年後の1973年に離婚。
福田は、子供2人を引き取ることを希望しましたが、「跡取りだから」という理由で長男は元旦那に引き取られました。
翌年の1974年、福田は26歳で再婚をし、2人の子供を授かっています。
穏やかな毎日を過ごし、幸せな生活を手に入れたかのように見えました。
しかし、後に殺人事件を引き起こし、家族はバラバラになってしまうのです。
福田和子の生い立ち
福田はどんな人生を歩んでいたのでしょうか。
その生い立ちを見ていきましょう。
母親の離婚と再婚
福田は1948年1月2日に愛媛県松山市内で誕生。
1歳の頃に両親が離婚。
福田は母親に引き取られ、愛媛県川之江市に引っ越すことに。
母親は自宅を売春宿として経営。
その後漁師と再婚し、今治市来島に移住します。
しかし、島の閉鎖的な環境に耐えられず、母と共に今治市に移り住みました。
恋人の事故死

1964年、高校3年生の時に交際中だった同級生が事故で亡くなってしまいます。
ショックを受けた福田は自暴自棄になり、卒業を目前にして高校を中退。
その後、1歳年上の男性と交際し、母親の反対を押し切り同棲生活を始めます。
強盗罪で逮捕
福田はキャバレーとして働きますが、生活に困窮。
そして同棲相手と共に高松国税局長公舎に押し入って現金と高級カメラを強盗。
その後逮捕され、松山刑務所に服役することに。
この時福田は18歳でした。
松山刑務所事件の被害者に
法務省松山刑務所内拘置所事件
1964年から1966年にかけて発生した汚職・強姦事件
暴力団収容者になめられた刑務官が、
買収等で弱みを握られ、以降、所内飲酒喫煙、喧嘩、女子拘置区域への乱入強姦等、
完全に収容者に拘置所が支配されてしまった事件。戦後の司法行刑史上最悪の不祥事となった。 pic.twitter.com/1UaPGe4Xqz
— 香織ちゃん (@DDnagaoka622) December 30, 2022
1964年、暴力団同士の銃撃戦による抗争(第1次松山抗争)で30名以上の暴力団員が松山刑務所に収監されました。
暴力団員らは看守を買収し、自由に歩き回れる状況に。
そして飲酒・喫煙・賭博・脅し・女性受刑者への強姦などが横行する無法地帯となってまったのです。
その時服役中だった福田も強姦の被害を受けました。
その後、高松刑務所に移送されることに。
しかし、そこでも同様の被害にあってしまいます。
この事件は「松山刑事事件」と呼ばれ、後に問題となりメディアでも大きく取り上げられることに。
しかし関わった看守2人が自殺。
また、当時は被害届を出すことが許されなかったため、事件の真相が解明されることはありませんでした。
この時の被害がトラウマとなり、後の殺人事件で15年間逃げ続けたと言われています。
福田和子と松山ホステス殺害事件
【悪女列伝】福田和子
・松山ホステス⚪︎害事件の犯人
・偽名や整形を繰り返し逃亡。7つの顔を持つ女と異名がついた
・公訴時効が成立する21日前に逮捕
・刑務作業中、脳梗塞で倒れ57歳没
・松山刑務所事件で暴行の被害者
・元プロ野球選手松井秀喜は子供の頃出会ったことがある pic.twitter.com/hNVP4FiLos— ちそうけん(早稲田地下クイズ総合研究所) (@tkqiz_souken) May 11, 2025
釈放された後、福田は実家に戻りホステスとして働き始めることに。
そして20歳で結婚し、5年後に離婚、約1年後に再婚をします。
ようやく穏やかな生活を手に入れたかと思われました。
しかし、福田は裏で不倫をし、不倫相手と密会するためのマンションまで借りていたのです。
二重生活をするために福田は借金を重ねていきます。
借金の返済のため、同僚の安岡厚子さんに借金の申し立てをしに行くことに。
安岡さんは当時、働いていた店で一番人気のホステスだったそうです。
しかし、安岡さんに断られたため、安岡さんの首を絞めて殺害。この時福田は34歳。
夫に「正当防衛で人を殺してしまった」と嘘をつき、遺体の遺棄を手伝わせることに。
夫は自首するようすすめましたが、最終的に遺体を山林に遺棄してしまったのです。
安岡さんを殺害後、福田は現金や通帳、高級家具などを盗み、不倫相手と密会するためのマンションに持ち込みました。
長い逃亡劇
逮捕を恐れた福田は、家族を残し1人家を出ていきました。
こうして長い逃亡生活が始まったのです。
福田は電車で金沢に向かい、ホステスとして働くことに。
客として訪れていた和菓子屋店主と交際。
そして内縁の妻として和菓子店を手伝うようになります。
福田は愛嬌もよく売り上げは右肩上がりに。店を建て替えるほど繁盛したのだとか。
この時福田は殺人容疑で指名手配されていたのにも関わらず、長男を甥っ子と偽り、見習いとして和菓子店に住み込みで働かせることに。
それほど、長男を溺愛していたのだと思われます。
しかし、なかなか結婚を承諾しない福田に対し、和菓子屋店主の家族は不審に思うように。そこで身元を調べたところ、指名手配中の福田和子だと判明したのです。
警察が迫ってきたのを察知した福田は、長男を置いて咄嗟に逃走。
こうして5年半に及ぶ金沢での逃亡生活は幕を閉じました。
その後は偽名をいくつも使い、整形を繰り返しながら、北海道から山口まで各地を転々としていくのです。
時効21日前に逮捕
福田和子はテレカまで作って逮捕したのにテロリストには死に際まで逃げ切られたのどういうことbot pic.twitter.com/sdxIGhjdGm
— うんこりん (@yutuki369) January 29, 2024
時効が1年後に迫った1996年、警察はより一層捜査に力を入れるようになります。
100万円の懸賞金をかけて有力情報を募集したり、福田の顔写真入りのテレホンカードを配布。
さらに、金沢潜伏時にかけていた福田の通話音声を公開し、連日報道されるように。
この時福田は福井県に潜伏し、複数の愛人から生活費援助を受けてホテル生活をしていました。
そこで一軒のおでん屋に通うようになります。
報道を見ていたおでん屋の女将は、「福田和子に声がそっくりや」と警察に通報。
その後瓶ビールとマラカスから指紋を採取した結果、福田和子と一致。
そして時効から21日前の1996年7月28日、福田は逮捕され、14年と344日にも及ぶ長い逃亡生活に幕を閉じたのです。
時効直前に身をひそめることもなく、おでん屋を訪れていたことについて、長男は以下のように話しています。
ぼくとおふくろは、性格が一緒なんです。だから、おふくろの考えていることはようわかるんです。2人とも何が一番怖いかというと、孤独なんです。すごい寂しがり屋で、たえず人と一緒におらんとだめなんです。1か月ぐらい山の中に隠れてたらよかったのにという人もいましたが、それはおふくろにはできなかったと思います。
引用元:文春オンライン
福田和子の子供達は現在何をしてる?
福田の子供は現在4人全員結婚し家庭を築いているとのこと。
長男は鉄工所の社長を務めているようです。
他3人の子供の情報はわかりませんでした。
それぞれ平穏な日々を過ごしたいという思いから公表を避けているのでしょう。
まとめ
- 服役中に脳梗塞により死去
- 福田は最初の結婚で長男長女、2度目の結婚で次男次女を出産
- 逃亡中に長男を自分のもとに呼び寄せ同居
- 現在4人の子供はそれぞれ結婚している
福田による身勝手な理由で尊い命が奪われた事件。
しかし、その裏では複雑な生い立ちや多くの苦しみを抱えてきたことがわかります。
数奇な人生に多くの関心が集まり、後世に語り継がれる事件となったのです。