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水前寺清子が老人ホームを設立?車椅子生活を送っているとの噂も調査

水前寺清子さんは、1964年デビュー。
2024年5月現在で、芸能生活60年を迎えます。

代表曲「365歩のマーチ」は、世代問わず多くの人への応援歌となっていますよね♪

そんな水前寺清子さんが、老人ホームを設立していたとの噂が…
また、「車椅子生活を送っている」「老人ホームに入居している」とも言われているようです。

この記事では、その噂が本当なのか徹底的に調査しました!

よつば
よつば
芸能生活60年!
ご高齢なので体が心配ですね…

水前寺清子が設立した老人ホーム「水清庵」の詳細4つ

水前寺さんは、2000年に老人ホーム「水清庵」を設立しています。
この「水清庵」について、詳しくまとめました!

「水清庵」の詳細
  1. 2000年に老人ホームを設立
  2. 現在は名称が変わっている
  3. 理事長とのトラブル
  4. 水前寺さんの温かい思い

それぞれ細かくご説明しますね♪

よつば
よつば
本当に老人ホームを建てていたのですね!

①2000年に老人ホームを設立

水前寺清子さんは熊本県出身。
故郷をこよなく愛していることで有名です。

そして「生まれ育った場所に何か貢献したい」との思いを強くもっていました。
そこで、夫である小松明さん(2020年に離婚)と共に約15億円を寄付。

念願だった思いを叶え、2000年に「水清庵」を設立しました。

経営に関しては、たまたま知り合った社会福祉法人の理事長さんにお願いをしたそうです。
水前寺さんは名誉施設長の肩書がありましたが、経営には一切関わっていません。

そんな水前寺さんの芸名の由来は、

  • 故郷熊本にある「水前寺成趣園」
  • 熊本藩主の「加藤清正」

から取っています。

この「水清庵」にも、「水」と「清」の文字が入っていますよね。

よつば
よつば
水前寺さんの故郷への思いが強く表れているように思えます

②名称が変わっている

2024年5月現在、老人ホームの施設の名称は変わっているそうです。
「いつ変わったのか」「今はなんという名前なのか」。
詳しい情報は得られませんでした…

更に熊本地震の際、水前寺さんの慰問先リストに「水清庵」は記載されていなかったそう…
ある記者が直接施設へ電話をかけ、確認したところ、

「水前寺さんとは一切関係がありません」

と言われたそうです…

老人ホームと水前寺さんとの間に、一体何があったのでしょうか?

③理事長とのトラブル

水前寺さんの元夫である小松さんは、理事長には不信感があったと語っています。

不信感があった理由をいくつか紹介します。

  • 理事長とその弟が敵対して裁判沙汰
  • 理事長家族と一緒に旅行に行く度、派手な格好の女性を連れてくる
    (毎回違う女性だった)
  • ゴルフに行くと大量の酒を飲み、そのまま運転して帰ってしまう
  • 架空工事・水道料金のごまかし

こうした理事長の非常識な行動が相次いでいたそうです。
その後、20年以上にわたる不正が発覚して理事長は解任されています。

こうしたイザコザがあり、熊本地震の慰問の際には…
このケアハウスを訪問しない、という選択をしたようです。

よつば
よつば
20年以上も騙されていたなんて…
水前寺さんもかなりのショックを受けたでしょうね。

④水前寺さんの温かい思い

理事長との間にトラブルがあった水前寺さん。
それでも、「施設におられる人が楽しく過ごしてくれることが本望」と語っています。

また、この施設を設立した際にも…
自身の後援会の人たちが、将来的にここで働けるようにとの思いがあったようです。

長年の不信感と不正、施設名を変えられるなど…
水前寺さんの善意が踏みにじられたようなものですよね。

よつば
よつば
信用していた人からの裏切りは辛いですね…
でも、水前寺さんは心が広く優しい方だということがわかりました!

水前寺清子は老人ホームで生活している?

引用:『音楽ナタリー』

水前寺さんが「老人ホームで生活している」との噂もあるようですが…

水前寺さんは老人ホームで生活していません
2024年5月現在も、元気に活動されています!

先ほど、水前寺さんが設立した老人ホームのご紹介をしました。
水前寺さんが「老人ホームに入居」という噂は…

老人ホーム設立という過去の出来事から、勘違いが起こったのかもしれませんね。

よつば
よつば
今も現役で活躍されているんですね!

水前寺清子は車椅子生活なのか?2度の怪我について

結論をお伝えすると、水前寺清子さんは車椅子生活ではありません

2024年5月現在、78歳というご年齢ですが、現役でステージに立っています!
他にも、司会やラジオなど元気に活動。
オフィシャルブログもコンスタントに更新されていますよ♪

しかし、過去に「車椅子生活になるかもしれない」と言われるほどの大怪我を負っています。

2度の大怪我
  1. デビュー間もない頃の怪我
  2. 2011年の怪我

詳しくご紹介しますね。

①デビュー間もない頃の怪我

水前寺さんは、2014年に腰部脊柱管狭窄症を患い、手術をしています。

これは、背骨の異常から腰や足に痛みやしびれが出る病。
多くは加齢によって背骨の変性が進行します。

しかし、水前寺さんが腰や足に違和感を覚えたのは、最近のことではありません。

最初のきっかけは、デビューして1年半のころ。
故郷である熊本での里帰り公演中に起きた事故でした。

舞台の床板の隙間に膝が挟まり、大怪我をしてしまいます…

近くの診療所で手当てを受けますが、会場にまだお客が残っていると知った水前寺さん。
舞台に戻って、最後までステージをこなしたそうです。

幕が下りたあとも激痛が続き、大学病院で診察を受けます。

結果、左ひざ内側の筋が切れ、軟骨にヒビが入る大怪我でした。
熊本で数日間入院し、さらに東京に戻ってからも一か月の入院を余儀なくされます…

この怪我以来、ステージに立つ度に怪我をした所が痛んだそうです。
ステージが終わったあとは、身動きがとれないほどの痛みを伴うことも…

そのような状態で、長い芸能生活を続けてきました。

よつば
よつば
自分の歌を聞きに来てくれるお客さんのために…
痛みがあってもステージに立つという、プロらしさが見えますね。

②2011年の怪我

デビュー後の大怪我が元で、長らく足に痛みを伴っていた水前寺さん。
騙し騙し活動を続けていましたが…

2011年広島でのコンサート中に、またしてもステージの階段から転倒。
左膝剥離骨折靱帯損傷という大怪我を負ってしまいます。

それでも無理をしてツアーを続けていました。
これが原因となり、症状が一気に悪化。

そして2014年、腰部脊柱管狭窄症と診断を受けます。
歩くことも困難となり、「このままでは車椅子生活になる」と医師に言われるほどでした。

その後6月に手術をし、リハビリに励むこととなります。
当時、芸能人生50周年の記念ステージを控えていました。

このステージを成功させたいという強い思い。
そして辛いリハビリを乗り越えたのです。

その結果、水前寺さんは2014年12月に日比谷公会堂で行われた記念ステージへ。
見事に復帰を果たしました!

2024年5月現在も、現役で活躍する水前寺さん。
その姿は多くの人に元気と勇気を与えています!

よつば
よつば
危うく車椅子生活になってしまうところを、強い意志で乗り越えたのですね!

水前寺清子「365歩のマーチ」が老人ホームで人気!

水前寺さんは、健康日本21推進ウォーキング実行委員長日本ウォーキング協会の理事を務めています。

代表曲「365歩のマーチ」のおかげで、すっかり「歩く」イメージが付いているようですね♪

この「365歩のマーチ」は介護予防に良いとされ、リハビリ体操まで作られています。

各地の老人ホームで、「365歩のマーチ」の歌に合わせて体操が行われているそうですよ♪

水前寺さんご自身も、怪我で歩くことが困難になった時期があります。
その困難を乗り越えて、元気に活動されている水前寺さん。

曲調も歌詞も水前寺さんの姿も、リハビリに励む方々を元気づけてくれそうですよね!

よつば
よつば
まさに応援歌!

水前寺清子はどんな人?詳細6つ

大怪我を乗り越え、老人ホームの設立もされてきた水前寺さん。
最後に、水前寺さんの生い立ちやこれまでの活躍の詳細をご紹介します!

水前寺清子の生い立ちと活躍
  1. 裕福な家庭に生まれる
  2. 子供の頃から歌が大好き
  3. 両親の事業失敗で東京へ
  4. 「水前寺清子」「チータ」の由来
  5. 代表曲「365歩のマーチ」
  6. 紅白22回出場・司会4回
よつば
よつば
誰もが知っている大物歌手!
もっと詳しく知りたいです♪

①裕福な家庭に生まれる

本名は林田民子(はやしだたみこ)
1945年10月9日、熊本市生まれです。

両親は熊本市内の商店街で化粧品店を経営していました。
兄弟と年が離れていたこともあり、父親はとても可愛がったそうです。

歌が好きだった父親は、歌の上手な水前寺さんにオルガンを買い与えます。
まだ小さくて足がペダルに届かない水前寺さん。
父親は手作りの椅子まで作ってくれたとか♪

よつば
よつば
戦後間もない時代にオルガンを買うなんて!
かなり裕福だったことが伺えますね。

②子供の頃から歌が大好き

3歳にして、流行歌を歌うなどものまねをしていたそうです。
近所でも「歌が上手い」と評判になりました。

地域ののど自慢大会に出場すれば、必ず賞をとるほどの実力だったそうですよ!

そんな歌好きで実力もあった水前寺さん。
小学5年生の時、高校の音楽教師に音楽の基礎を教えてもらいます。

水前寺さんの歌手としての可能性を見出していた父親の紹介でした。

お父ちゃんは歌手にさせようと考えて、小学5年生の時に高校で音楽を教えていた滝本泰三先生のところに連れていった。ところが先生は「歌謡曲は教えられない、音楽の基礎なら教える」。それで発声の訓練や声楽の基礎を学ぶことに。大好きな歌謡曲を歌えると思っていたのでつまらなかったけれど、おかげで譜面も読めるようにもなり、それらが後年、役に立った。何事も基礎は大切ですね。

引用:『朝日新聞DIGITAL』

 

よつば
よつば
子供の頃から、誰もが水前寺さんの歌の実力を認めていたのですね♪

③両親の事業失敗で東京へ

熊本で歌に触れる充実した生活を送っていた水前寺さん。
ところが、小学6年生の12月。
突如東京で暮らすことになります。

父親の事業拡大が失敗したための「夜逃げ」でした。
裕福な生活からは一変しましたが、父親は夜間の音楽学校へ通わせてくれたそうです。

生活が苦しい中でも、水前寺さんを歌手にするのが父親の夢だったのですね。

よつば
よつば
お父様は、いつでも水前寺さんの良き理解者だったのですね!

④「水前寺清子」「チータ」の由来

「水前寺」は故郷熊本市にある「水前寺成趣園」から取っています。
「清子」は戦国武将・熊本藩主である加藤清正から。

愛称の「チータ」は、作詞家の星野哲郎さんが、
「ちいさなたみちゃん」と呼んでいたことでついたそうです。

芸名の「水前寺清子」は、最初は気に入らなかったそうですよ!

《デビューにあたり、芸名は水前寺清子になった》

11回ダメだった間に「東京マリ」とか考えていたんですけど……。芸名が決まった場面を振り返るとこんな感じです。

「生まれは?」

「熊本です」

「熊本何とか子はおかしいな。近くに有名な場所ある?」

「水前寺公園とか」

「いいね、それでいこう」

清子は熊本の有名な武将、加藤清正から。水前寺清子。なんだそりゃって、最初はいやだった。私の本名(林田民子)が入っていないし。

引用:『朝日DIGITAL』

③代表曲「365歩のマーチ」

1968年11月10日に発売。
これまで演歌を歌ってきた水前寺さんでしたが、この曲は歌謡曲ナンバーです。

ジャケットも、これまでの演歌・着流し姿からがらりと変わります。
真っ赤なマーチングバンドのドラムメジャー姿で、陽気なイメージとなりました!

聴く人の人生を励ます応援歌として、知らない人はいないでしょう♪

売り上げは累計100万枚を超え、水前寺さんの最大のヒット曲・代表曲となりました。
CMやテレビ番組でも多数取り上げられています。

しかし以外なことに、紅白でこの曲が初披露されたのは発売から12年後だったそうです。

④紅白22回出場・司会4回

紅白初出場は1965年。
まだデビュー1年目の新人のときでした。

その後、1986年まで連続出場22回
紅白常連歌手となります。

22回の出場のうち…

  • 紅組のトップバッター2回
  • トリ1回
  • 紅組の司会4回

を務めています。

1981年からリーダー制が敷かれ、紅組のリーダーも4回務めました。
水前寺さんは、チームのムードメーカー的存在だったようですよ!

気風がよくチャキチャキとした水前寺さんだからこそ、務められたのでしょうね♪

しかし、1987年に紅白落選という挫折を味わいます。
以降、紅白への出場はありません。

そんな挫折を味わった水前寺さんですが、2017年からは…
毎年大晦日に開催されるももいろクローバーZの「ももいろ歌合戦」に連続出場しています!

引用:『音楽ナタリー』

現代の若い世代のアイドルとも共演できる「気持ちの若さ」と「柔軟さ」。
これには驚きますね!
若い世代にも負けない元気な姿が、とても印象的です♪

よつば
よつば
70代とは思えないですよね!

まとめ

「車椅子になるかもしれない」と言われるほどの大怪我を乗り越え…
歌手活動を続けてきた水前寺清子さん。
その姿は、多くの人の励みになっていることでしょう♪

過去には老人ホームの設立にも携わっていました。
故郷や人への想いが溢れる、優しい方だということもわかりました。

今後も元気に活躍する姿を見たいですね!

よつば
よつば
見ているだけで元気になる、不思議な魅力のある方でした♪