日本を代表する貼り絵画家、山下清さん。
「裸の大将」というタイトルでドラマ化されたこともあるくらい有名な画家広く知られています。
幼い頃から言語障害と知的障害があり、全国を放浪しながらその旅の情景を貼り絵などで美しく表現することを得意とした山下清さん。
彼は49歳という若さで亡くなっているそうですが、死因はどんなものだったのでしょう?
また山下清のプロフィール、遺産や作品の価値などについても調べてみました。
Contents
山下清の死因は脳出血
引用:山下清公式サイト
山下清さんは脳出血により1971年(昭和46年)7月12日に49歳の若さで亡くなっていることが分かりました。
もともと高血圧による眼底出血があり、自宅で療養していていたそうです。
亡くなった当時は、弟さん家族と同居していました。
病気は回復に向かっていたそうで、亡くなったのは突然のこと。
倒れる前の夕食も家族と一緒食卓を囲み、「今年の花火見物はどこに行こうかな」
と大好きな花火のことを話していたそうです。
その晩病に倒れ、それが最期の言葉となりました。
部屋で倒れているところを家族に発見され、意識が戻らないまま翌々日の1971年7月12日に亡くなりました。
山下清さんが亡くなった当時、すでに彼は有名人でした。
当時の貴重なニュースも残っています。
山下清の遺産や作品の価値
亡くなった当時、すでに人気画家として活躍されていた山下清さん。
果たして彼の遺産は一体どのくらいあったのでしょうか?
調べてみましたが、具体的な遺産額ははっきりと公表されていません。
しかし遺産ともいえる彼の作品の価値を調べることでおおよその額は把握できそうです。
山下清の作品価値
山下清の作品価値を調べてみました。
彼の作風には3種類ほどあり、種類によって価値が異なっています。
それぞれの作品と特徴、価値について以下の表にまとめてみました。
作品種類 | おおよその評価額 | 評価・価値 |
貼り絵 | 数百万円~1000万円以上 | ほとんど市場には出回っておらず、遺族や美術館等に保管されている |
作画 | 数万円~100万円 | 題材や保存状態よっては高評価 |
版画 | 数千円~10万円 | 没後に制作されている事が多く、評価は高くない |
貼り絵だけかと思っていたら作画や版画なども多数手がけていたんですね。
しかしながら1作品の価値が数千円から1000万円以上までなんて、すごい振れ幅です!
また、作品の多さや独特のタッチゆえに贋作(偽物)も多く出回っていることでも有名。
貼り絵やペン画などの原画作品は<山下清鑑定員会>の鑑定師に必ず鑑定してもらわないといけないそうです。
貼り絵のほとんどは遺族や美術館が保管しているということです。
山下清の常設美術館である放浪美術館に所蔵されている作品数を調べてみました。
所蔵されている作品数
- 貼絵:70点
- ぺン画:15点
- 油画:1点
- 石版画:1点
- 工芸品:80点
- 総展示数:約170点
展示されいる作品数だけでこれだけなので、実際はもっと多くの作品が所蔵されていると思われます。
具体的な価格までは分からないとしても先ほどの表を参考に価格にしたら相当な金額になるであろうというがわかりますね!
…定かではありませんが相当な価値があることは間違いないです!
山下清のプロフィール・作品について紹介
山下清さんのプロフィールや代表作品などについても調べてみましたので、紹介したいと思います。
山下清のプロフィール
まずは、山下清さんのプロフィールから紹介していきます。
引用:佐川美術館
山下 清(やました きよし)
誕生日 1922年(大正11年)3月10日
出身地 東京市浅草区
<経歴>
- 3歳の時重い消化不良の後遺症により言語・知的障害と診断される。
- 12歳の時両親の再婚・離別や生活の困窮により、救護施設である千葉県の「八幡学園」に預けられる。
八幡学園での生活で貼り絵を知り、これに没頭し磨かれていく。
学園の顧問医を勤めていた精神病理学者・式場隆三郎の目に止まり、指導を受けることで才能が一層開花。 - 1938年(昭和13年)12月
東京・銀座の画廊で初個展を開催。 - 1939年(昭和14年)1月
大阪の朝日記念会館ホールで展覧会開催。
多くの人々から賛嘆を浴びる。 - 1940年(昭和15年)
18歳の時に突如学園を脱走し、放浪の旅を始める。
1955年(昭和30年)6月までの間、半年ごとに放浪しては千葉に戻ってくる事を繰り返す。
放浪の旅に出ながら学園に帰った際に数々の貼り絵を残すという作成スタイルを確立。 - 1956年(昭和31年)
東京大丸の「山下清展」を始め、全国巡回展が約130回開かれる。
観客は500万人を超え、大丸の展覧会には当時の皇太子明仁親王(現:令和上皇)も訪れた。 - 1961年(昭和36年)6月
約40日間のヨーロッパ旅行に出発。各地の名所を絵に残した。 - 1964年『東海道五十三次』の制作を志して、東京から京都までのスケッチ旅行に出掛け、
およそ5年の歳月をかけて55枚の作品を遺す。 - 1968年(昭和43年)
『東海道五十三次』の制作途中に高血圧による眼底出血に見舞われ、以降自宅での療養生活となる。 - 1971年(昭和46年)
7月12日東京都内の自宅で脳出血のため倒れ、死去。享年49歳。
貼り絵に出会い才能が一気に開花した山下清さんですが、障害などもあり幼い頃は相当苦しい毎日を送っていたようです。
才能を見出された後は一気にスターダムをかけ上がっていった、という感じがしますね。
山下清の代表作3作品
次に山下清さんの主な代表作3作品を紹介します。
日本の情景を貼り絵や描画で独特のタッチで描いているのが特徴です。
【長岡の花火】
引用:美術館ナビ
【東海道五十三次】
引用:佐川美術館
【桜島】
引用:Let’s ENJOY TOKYO
「日本のゴッホ」、「放浪の画家」と謳われている山下清さん。
彼の特異な画風と貼絵に見られる天才的な手法は他に類を見ないとまで評されています。
山下清の作品を見られる場所3つ
記事を読んで山下清さんの作品を見てみたいと思ってくれた方もいるかもしれません。
山下清さんの作品は以下の場所などで見ることができます。
- 放浪美術館 【長野県茅野市】
- 横浜マリンタワー 【神奈川県横浜市】
- 辰巳館 【群馬県利根郡みなかみ町】
①放浪美術館 【長野県茅野市】
山下清が放浪中お世話になった方々へお礼に残した作品をはじめ、貼絵作品、陶磁器、フェルトペンによる点描画・スケッチ作品など170点以上の山下清作品をを集めた美術館です。
先週諏訪大社行った後に放浪美術館に行ってきた
想像してた以上に展示物があって驚いた
テレビで見るより繊細で緻密な切り絵に感動しました🖼( Ꙭ)っ🍙 pic.twitter.com/oMXoASMBuA
— 🏮肉亭クマひげ🐻🥃 (@RC24_30_45_HRC) April 9, 2021
<放浪美術館>
所在地:〒391-0001 長野県茅野市ちの2764-3
【HP】
②横浜マリンタワー 【神奈川県横浜市】
実は横浜のマリンタワー1階の壁には山下清の壁画があります。
マリンタワーにあるなんて意外ですよね!
行ったことあるけど気づかなかった!という方も多いのでは?
#山下清 作 #モザイク画(#壁画) 横浜開港100周年事業として完成した
🗼#横浜マリンタワー🗼
1961年当時の『昔🎆花火🎇』が描かれている。#横浜 #開港 #マリンタワー #花火 #横浜港 #yokohama pic.twitter.com/ThLhT5mZvc— ハマの気分障害おじさん (@yoshinyosin) June 28, 2016
<横浜マリンタワー>
所在地:〒231-0023 神奈川県横浜市中区山下町14−1
【HP】
③辰巳館 【群馬県利根郡みなかみ町】
群馬県にある辰巳館という温泉旅館にはなんと大浴場の壁に山下清の壁画があります。
また壁画以外にも何点か原画も旅館内で飾られています。
温泉に浸かりながら山下清の壁画を見れるなんて…とても贅沢な気分になりますね♪
【温泉ソムリエのマメ知識】
群馬県みなかみ温泉郷上牧温泉「辰巳館」には山下清の大壁画がある「はにわ風呂」があります。
泉質は「ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物温泉」で、「ダブル傷の湯」「ダブル温まりの湯」です。https://t.co/SWTUcjJrc9#赤倉茅咲#温泉むすめ #温泉ソムリエ pic.twitter.com/mDy4TJH9RB— 赤倉温泉「温泉むすめ・赤倉茅咲」公式 (@akakurachisaki) September 8, 2023
今回宿泊したのが山下清の作品がある辰巳館。お風呂には大壁画があり風情のある良いお風呂だった。
原画も数点飾られていて、山下清LOVEが高まっていたらお土産に花火の風呂敷を夫が買ってくれた☺️
囲炉裏料理や川魚のお刺身が美味しくてまた行きたい。 pic.twitter.com/95uGTusgvP— 林由紀子 @副鼻腔炎専門の鍼灸師 (@yukkohari) February 2, 2024
<辰巳館>
所在地:〒379-1303 群馬県利根郡みなかみ町上牧2052
【HP】
すごいバイタリティです!
ドラマや映画にもなっている山下清
引用:BS12 公式HP
山下清さんの才能や経歴などが注目され、ドラマや映画、舞台化もされています。
中でも「裸の大将放浪記」は人気ドラマとして1980年~2008年にフジテレビ系列で制作・放送されました。
山下清役には芦屋雁之助さん(1980年から1997年)と塚地武雅さん(2007年から2008年)が演じていました。
このドラマで山下清さんを知ったという人も多いと思います。
ドラマの中では放浪先で絵を描くというストーリーでしたが、実際はそうではかったようです。
旅先での情景を脳裏に鮮明に焼き付け、放浪より帰ってきてから自身の記憶によるイメージだけで描いていたとのこと。
驚異的な記憶力と再現力ですね…。
また服装もドラマではランニングに半ズボン、リュックという恰好でしたが、こちらもドラマ用の脚色で実際にその恰好だったのは短期間でした。
とても身だしなみに気を使う人で、画家が被るものだとしてベレー帽を愛用していたとのことです。
まとめ
- 山下清は49歳のときに脳出血で亡くなっている
- 遺産となる彼の作品の価値は1点数千円~1000万円以上と幅広い
- 言語・知的障害を抱えながらも天才的な手法と表現力を持っていた
- 放浪生活をしながら作品を制作していたことでも有名
- 才能や経歴が評価され、山下清のドラマや映画、舞台化もされた
今回は貼り絵画家・山下清さんの死因や遺産、経歴や作品についても調べてみました!
多くの作品を手掛け、惜しくも若くして病気で亡くなられた山下清さん。
作品の価値についても貼り絵をはじめ、とても高いことが分かりましたね。
ドラマでのキャラクターが強めでそちらが注目されがちの山下清さんですが、この記事を読んで彼の作品にも興味を持っていただけたら嬉しいです♪
いつか放浪美術館にも行ってみたいです♪