「人生楽しんだもん勝ち!」というワードは名言として扱われているはずですが…
実際、悪いイメージの言葉でもあります。
「人生楽しんだもん勝ち!」はヤンキーや低学歴の人が多用しがちですよね。
なので、「人生楽しんだもん勝ち!」というワードに対して反論も多くあります。
本来は素敵な名言のはずなのに、イメージが悪くなってしまう理由を調査してみました。
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偉人が語る名言「人生楽しんだもん勝ち」3選
実はこの言葉は、最近登場したものではありません。
遡れば、歴史上の数多くの偉人がこうした趣旨の名言を残しています。
有名な3人の言葉をピックアップしました。
①渋沢栄一の名言
「一人ひとりに天の使命があり、その天命を楽しんで生きることが、処世上の第一要件である。」
引用元:癒しツアー
日本経済の礎を築き、新一万円札の顔にもなった「日本の資本主義の父」渋沢栄一は、このように語っています。
自分の役割を考え、理解して、努力を重ねていくことが人生を豊かにするポイントだということですね。
②坂本龍馬の名言
「人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。」
引用元:癒しツアー
激動の時代を生きた坂本龍馬はこのように語っています。
人間はそれぞれが好きな事をして人生を切り開いていくものだ、というメッセージが込められています。
③ルソーの名言
「最も長生きした人間とは、最も年を経た人間のことではない。最も人生を楽しんだ人間のことである。」
引用元:癒しツアー
フランス革命に影響を与えたとされる思想家ルソーはこのように語っています。
たとえ長生きでなくとも自分のやりたい事ををやれるのが幸せだという考えですね。
彼らの言う「人生を楽しむ」とは、「自分の思い描く理想の為に努力をする事」です。
つまり、「やりたい事」の為に「やるべき事」をやる、という事ですね。
理想の過程において、楽しい事ばかりではないでしょう。
多くの困難も待ち受けていると思います。
そうした自分の求める先に待つ苦労すらも「楽しむ」と表現しているのです。
やはり偉人の言葉は重みがありますね。
それを理解した上で、メディアなどで成功体験を語るような人が「人生楽しんだもん勝ちですよ」と笑顔で語っていたら、素直に「そうだよね!」と言えそうです。
ヤンキーや低学歴の名言(迷言)「人生楽しんだもん勝ち」には反論が多い?

では現代のよくある使われ方はどうでしょうか?
使われやすい一般的なシチュエーションはこの2つになります。
①SNSへの投稿
最近では多くのSNSが普及し、InstagramやFacebook、Twitterなどに、自身の楽しんでいる様子と共に投稿されているのを多く見かけます。
②友人知人間での自分語り
人生に悩んでいる友人・知人に対し、自分の考えをアドバイスとして伝えるような時に使われます。
どちらのシチュエーションでも、
「自分に正直になろう!」
「心の声に耳を傾けよう!」
「一度きりの人生後悔しない生き方を!」
「我慢ばかりじゃ自分がかわいそう。」
といったメッセージ性を感じますね。
しかし実際にこうしたシチュエーションで「人生楽しんだもん勝ち!」と豪語する彼らに対して、私たちはあまりいい印象を持っていません。
全員が全員、とまでは言いませんが、我慢してまでやる価値は無い、とやる前から決めつけて、目の前の楽しさを優先するた為に困難を避けようとしたり、時には逃げてしまったり…。
そして誰かにフォローしてもらっている事実に気付いていないこともあります。
こうした彼らの「人生を楽しむ」とは、「楽しい事だけ」をやる、つまり、「やりたい事」だけをやる、という事になります。
誰でも一度はやりたい事だけやって生きていきたいと思う事でしょう。
しかし大半の人は、そうはいかない現実を理解し、やるべき事にも向き合いながら生活しています。
だからこそ、彼らの言葉は世間知らずの迷言として捉えられてしまいがちなのです。
ヤンキーや低学歴の名言(迷言)に反論が多い3つの理由

どうして彼らのこうした言動を見かけるたびにモヤッとするのでしょうか。
私たちは無意識に見下している?
いいえ違います。
きちんとした理由があるのです。
①努力を否定されるような不快感
先ほどもお伝えしたように、多くの人は、好きなことばかりして生きてはいられない、という現実を理解し、受け入れています。
例えば、第一志望の学校に行く為に、苦手な勉強と向き合う人もいるでしょう。
家族を守る為に、仕事で失敗をしても歯を食いしばって耐える事もあります。
マイホームを購入する為に、趣味や外食を我慢して倹約に努める人もいますね。
どの人も皆、「やりたい事」の為に、自分の欲望と理性の間で折り合いをつけながら「やるべき事」を努力しています。
一方で、楽しい事しかやりたくない彼らの言動からは、そうした努力が感じられない事があります。
それどころか、時にはそうした努力を重ねている人を「かわいそう」と表現されてしまうなんてことも。
まるで自分たちが信じて努力している部分を無駄だと言われているような気分になりますね。
何も知らないくせに!という感情が芽生えてしまっても不思議ではありません。
② そこはかと感じる不公平感
人間誰だって嫌な事は避け、好きなことだけをして生きていたいものです。
しかし、みんながみんなこうなってしまったら社会は成り立ちません。
社会はそれぞれの努力で支えられているのです。
しかし彼らは困難を避け、無駄な努力は簡単に放棄します。
そしてそうした彼らの行動のしわ寄せをくっているのは、私たちなのです。
多くの人の努力の上にある都合のいい部分だけを寄せ集めて「人生楽しまなきゃ」と言われてしまうと、どうしようもない不公平感に襲われますよね。
これではお互いに支え合っているとも思えませんし、簡単に納得できるものではありません。
③ 自己満足の発信
SNSが生活の一部となっている現代は、自己表現の場が身近になり、多くの人が自分の考えや価値観を発信し、共有できるようになりました。
しかし、そうして発信した自分の想いは100%相手に正しく伝わっているでしょうか。
答えはノーです。
全てを正しく伝える事は、たとえ対面でのやり取りでも難しいでしょう。
なぜなら受け手は自分とは違う考えや価値観を持っているからです。
考え方が違えば、どうしても受け手なりの解釈になりますよね。
よく知らない他人の投稿なら尚更です。
自分の価値観を元に目の前の言葉だけで判断してしまうので、誤解もたくさん生じている事でしょう。
自分の考えをできるだけ正しく伝えたいと思うならば、受け手を意識したものでなければいけません。
自分が言いたい事を言うだけの自己満足ではダメなんです。
彼らの言動からは受け手への配慮が感じられず、自己満足の範囲でしかありません。
自分の言葉に対し、相手がどう感じ、何を思うのか、発信する前に配慮する気持ちが大切ですね。
まとめ
いかがでしたか?
- 本来の言葉の意味を都合よく解釈している。
- 普段の言動から努力や誠実さが感じられない。
- 受け手への配慮がない。
こうした理由から受け手に誤解を与えてしまうと、素晴らしい言葉たちも霞んで聞こえてしまいますね。
非常にもったいない事だと思います。
彼らの使う「人生楽しんだもん勝ち!」も字面だけで見れば決して間違っていないのかもしれません。
しかし、人生観に関わるほどの強い言葉ですから、どうせ使うならば、受け取った人の背中を押してくれるような前向きな言葉であって欲しいなと思います。
SNSの普及により見知らぬ相手とも繋がれるこの時代だからこそ、言葉の持つ意味や影響をしっかりと理解し、受け取る相手側の事も考えた使い方ができるようになりたいですね。