『鳥人間コンテスト』をご存知でしょうか?
1977年からスタートした、読売テレビ主催の人力飛行機の滞在時間や飛行距離を競う大会です。
歴史ある鳥人間コンテストは、過去に死亡事故が発生したとの噂があります。
さらに、事故にあった人はサイコパスだったとか…。
これらは、すべて事実なのでしょうか?
気になったので、調べてみました!
Contents
鳥人間コンテストで死亡事故があったって本当?
引用:鳥人間コンテスト公式X
調べたところ、鳥人間コンテストでの死亡事故はありませんでした。
ですが、大事故は発生しています。
一体、どのような事故だったのでしょうか…?
事故後は寝たきりの状態に
事故が発生したのは、2007年7月29日に開催された『第31回鳥人間コンテスト』。
九州工業大学のサークル『KITCUTS』の操縦士として参加していた川畑明菜さんが、高さ10メートルから墜落してしまったのです。
事故後に救助された川畑さんは、メディカルチェックを受けたあと、外傷もなかったために福岡県へと帰りました。
しかし、翌日から急激なめまいに襲われ、症状は徐々に悪化。
最終的には、寝たりき状態となってしまいます。
同年10月、川畑さんは、脳脊髄液減少症と診断され、入院しました。
脳脊髄液減少症とは?
脳脊髄液が“減少状態”になるために、頭痛をはじめとする種々の症状が出現する疾患です。引用:茨城県公式ホームページ
退院後は、日常生活もままならないような日々を6年間過ごしていたそうです…。
当時の生活を、川畑さんは以下のように振り返ります。
「トイレに行くのも精一杯。間に合わなくて泣いてしまうこともありました……。退院後も症状は改善せず、車椅子や松葉杖での通院生活が続きました。いつもなら10分ほどしかかからなかった通学も1時間近くかかりました。校内で倒れたこともありました。何とか大学は卒業できたものの、大学院に進むために貯めていた200万円は治療のためあっという間になくなってしまいました……」
裁判沙汰になっていた?
驚きなのですが、『第31回鳥人間コンテスト』での事故は、裁判沙汰にまでなっていました。
事故にあった川畑明菜さんは、2013年4月に4305万8800円の支払いを求める裁判を起こしました。
裁判で相手取ったのは、こちらの方々。
- 読売テレビ
- 九州工業大学
- 人力飛行機を製作したサークルの顧問
- リーダー
- 設計責任者
- 政策責任者
川畑さんは、裁判を起こした理由を以下のように説明しています。
「裁判になってしまったのは非常に残念です。ただ提訴の期限が迫っていたため、決意しました。訴える前には、テレビ局の方ともお会いしました。しかし『裁判をするとお互いのためにならないよ』などと言うばかり。今後の安全対策についてなど、私が満足するの話し合いはできませんでした。私は、なぜこんな事故が起きてしまったのかを知りたかった。それに今後、二度と同じことが起こらないようにしたいと思ったんです」
詳しい事故の理由
事故が発生した理由として、以下の3つが考えられます。
- 機体の強度が、他チームの半分以下だった
- 製作の遅れで、試験飛行の時間が少なかった
- 機体の主翼ワイヤーが切れていたにもかかわらず、大会本部に申告しなかった
準備不足だったのでしょうか…?
鳥人間コンテスト事故の被害者がサイコパスだと噂される3つの理由
この投稿をInstagramで見る
裁判を重ねていくなかで、事故の被害者である川畑明菜さんがサイコパスなのではないかと言われるようになりました。
噂されるようになった理由を、3つご紹介します。
- 本番当日の体重が8キロオーバー
- 上京して楽しんでいる
- 経営コンサルタントを名乗る
サイコパスとは?
サイコパスとは、「反社会性パーソナリティ障害」という精神病者のこと。
一般人と比べて著しく偏った考え方や行動を取り、対人コミュニケーションに支障をきたすパーソナリティ障害の一種で、サイコパスの主な症状として、感情の一部、特に他者への愛情や思いやりが欠如していることや、自己中心的である、道徳観念・倫理観・恐怖を感じないといったことが挙げられます。
①本番当日の体重が8キロオーバー
鳥人間コンテストでは、体重管理が重要とされています。
九州工業大学の飛行機の機体は、グラム単位で設計され、完成に2年かかりました。
川畑さんは操縦士として、1日40〜80キロを自転車で走るなど、別メニューをこなしていたそうです。
ダイエットを頑張っていたようですが、本番3日に突然、体重が8キロオーバーしていることを告白します。
機体の修正が間に合わず、結果的に墜落してしまいました。
しかし、墜落後のインタビューでは元気に受け答えしていたとか…。
真相は不明ですが、考えるとゾッとしますね…。
②上京して楽しんでいる
川畑さんは、動けないほどの重症だったにも関わらず、九州から上京しています。
上京した理由を、以下のように語っていました。
「事故後はほとんど体が動かず、いっそのこと死んでしまおうと思うほどの日々でした。でも、どうせ死ぬならと思い、九州から東京に出てきたんです……」
上京後は、スナックのホステスとして働きながら、コスプレやカラオケを楽しんでいたことが判明しています。
Twitterでは、「よくナンパされる」との自慢もあったんだとか…。
「どうせなら」との気持ちがあったからとはいえ、ここまで元気に活動しているのは不思議です…。
③経営コンサルタントを名乗る
川畑さんは、社会人経験0にも関わらず、経営コンサルタントを名乗っているそうです。
Twitterでは、「東京大学と同じレベルの大学を卒業した」と発言。
それなのに、就職ができなくて困っているとのこと。
経営について本当に学んでいるかは不明ですが…
ここまで自分を偽っていると、人からの信用を失ってしまいそうですね…。
鳥人間コンテストとは?
この投稿をInstagramで見る
正式名称は、人力飛行機の滞空距離、および飛行時間を競う大会です。
1977年に、滋賀県近江八幡市の宮ヶ浜水泳場で、第1回が開催されました。
人力プロペラ機部門と、滑空機部門の2部門で競います。
ルール
- 機体は自作による人力飛行機であること。
- プラットホームの高さは水面から10メートル。助走路は10メートルで、傾斜角は3.5度の扇形。
【人力プロペラ機部門】
- 南ルートの往復(プラットホーム⇔沖島ポイント)と、北ルートの往復(プラットホーム⇔竹生島ポイント)を目指す。
- 両ルートを往復した場合の記録は70kmとする。
【滑空機部門】
- プラットホームの先端から着水した機体の最後尾までの飛行距離を競う。
大会会場
琵琶湖東岸
滋賀県彦根市松原水泳場
まとめ
- 死亡事故はないが、寝たきり状態になるほどの大事故はあった
- 事故で大怪我した川畑明菜さんは、損害賠償を求める裁判を起こしている
- 川畑さんはの事故後の行動が不可解で、「サイコパスなのでは?」と噂されている
鳥人間コンテストは、2024年も開催が予定されています。
「どうか安全に終わってほしい」と、願ってやみません。