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福岡大ワンゲル部の生き残りは?その後どうしているか徹底調査した!

約50年前、北海道の日高山脈で起こった「福岡大ワンゲル部ヒグマ事件」。
当時この事件は、日本中を震撼させました。

被害に逢ったのは福岡大学のワンゲル部(ワンダーフォーゲル部)所属の男子学生5人

山岳トレーニング中にヒグマに遭遇…
3人が命を落とし、生き残りは2人というとても痛ましい事件でした。

この事件の真相と、生き残った2人のその後を徹底調査!
現在でも、忘れてはいけないと語り継がれるこの事件を紐解いていきます。

よつば
よつば
とても悲劇的な事件で、胸が痛くなりますね…

福岡大ワンゲル部の生き残りと犠牲者とは

1970年の夏に北海道日高山脈で起きた福岡大のワンゲル部を襲ったヒグマの事件。
ワンゲル部の5人の男子学生がヒグマと遭遇し命を落とすことになりました。

この事件の生き残りは2人…
5人中なんと3人の犠牲者を出す凄惨な事件となってしまいました。

2人とも沢を下り、ダムの工事現場で無事に保護されました。

犠牲となった3人は顔の認識の難しく、腹部から臓器が出ている状態でした。
遺体の損傷の酷さは、救助隊が目を背けるほどだったと言います。

3人の遺体は、天候と遺体の状況から、カールで火葬されました。

生き残った2人の心の傷はいかほどだったのでしょうか…
それは未だ消えることはないかも知れません。

よつば
よつば
対面したのがお骨だなんて、ご家族の心境を思うと辛すぎますね…

福岡大ワンゲル部の生き残った二人のその後

痛ましい事件の生き残りであるサブリーダーの滝俊二さんと西井義春さん…
事件の後、2人はどのような人生を歩まれたのでしょうか。

生き残り2人のその後の調査結果を一つずつ見ていきましょう。

①滝俊二さんのその後

滝俊二さんはご存命であれば76歳(2024年現在)になられています。
当時のニュースや新聞では顔が隠されているため容姿は分かりません。

もう1人の生き残りである西井さんと2016年にNHKのインタビューを受けていたよう。
当時のインタビュー動画を探しましたが、残っていないのか見つかりませんでした。

事件後、滝さんがどのような人生を歩まれたのか…
それを知るのは、ごく親しい人たちだけなのかも知れませんね

よつば
よつば
傷は癒えなくても、少しでも穏やかな生活をされているといいですよね。

②西井義春さんのその後

西井義春さんはこの事件のもう一人の生き残りです。
存命であれば73歳(2024年現在)になられているでしょう。

西井さんも滝さんと同様、2016年にNHKのインタビューを受けています
しかし、その後の詳しい情報は見つかりませんでした。

年齢的にみても、仕事も引退されているのではないかと考えられます。

生き残った2人の心の傷…
それは未だ消えることはないかも知れません。

よつば
よつば
心静かに過ごされていたら良いのですが…

「福岡大ワンゲル部ヒグマ事件」6つの時系列

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件とは、一体どのような事件だったのでしょうか。
ここからは、事件を時系列で解説していきます。

①出発から現地入り

1970年7月12日、福岡大ワンゲル部の5人は博多駅を出発。
14日に北海道上川郡にある新得駅へ到着しました。

日高山脈を縦走する計画だったワンゲル部は、北部にある芽室岳から入山しました。
7月25日の15時半頃、事件のあったカムイエクウチカウシ山に無事到着

北側のカールにテントを設営すると、5人で早めの夕食をとっていたようです。
カールとは氷河の圧力によってできるスプーン状の地形のことです。

よつば
よつば
縦走してきた山々の話に花をさかせていたのかもしれません。

②ヒグマの襲撃:1回目

7月25日、テント内で夕食を済ませた5人の前に、ヒグマが現れました
その距離7メートル…

クマはその後、外に置いてあった荷物から食料を出して食べ始めたそうです。
危険を感じた5人は、隙を見て荷物をテントへしまうと火を起こしてラジオをつけました。

物音でクマを追い払おうとしたんですね。
するとクマは30分ほどでどこかへ行ってしまったというのです。

よつば
よつば
この時に大事をとって下山していれば…

③ヒグマの襲撃:2回目

同日21時頃、ヒグマが再び現れました。
ヒグマは5人がいるテントを引っ掻き、穴を開け去っていったのです。
このことから、5人は交代で見張りをしながら就寝することにしました。

4時間前に荷物をあさっていたヒグマが再び現れ、テントに穴を開けた…
その事実は想像を絶する恐怖だったことでしょう。

交代での見張りが功を奏したのか、この日ヒグマが再び現れることはありませんでした。

よつば
よつば
危害を加えてきたなんて一体どれほどの恐怖でしょうか…

④ヒグマの襲撃:3回目

7月26日の午前4時半、テントの片付けをしていた5人の前に再びヒグマが現れます。
この時、ヒグマはテントに入ろうとしたそうです。

5人は慌ててテント地や柱を掴み侵入を防ごうとしました。
しかし、意図せずヒグマとテントを引っ張り合うことに…

5分ほどの引っ張り合いの末、5人はテントの反対側の入り口から一斉に逃げ出します。

50メートルほど離れてからテントを確認すると…
テントは倒され、ヒグマが荷物をあさっているのが確認できました。

リーダーの竹末一敏さんは救援要請を決意しました。

サブリーダーの滝俊二さんと河原吉孝さんの2人に指示。
下山するように伝えたのです。

午前7時頃、滝さんと河原さんは下山途中北海道大・鳥取大のパーティーに遭遇…
それぞれのパーティーに救援要請を依頼します。

北海道大・鳥取大のパーティーは、2人にそのまま下山するよう勧めたそうです。

しかし、残してきた3人が気がかりだったのでしょう。
滝さんと河原さんは、3人と合流するため来たルートを引き返したといいます。

よつば
よつば
仲間を見捨てられないという強い気持ちが伺えます。

⑤ヒグマの襲撃:4回目

7月26日午後1時、滝さんと河原さんは残っていた3人と合流しました。
午後3時には安全と判断した尾根に修繕したテントを設営…

合流後も下山しなかったことから、危機は去ったと考えていたかも知れません。

しかし、午後4時過ぎに再びヒグマが出現したのです。
鳥取大のワンゲル部が来ているのを知っていたため、5人はそちらへ避難することに。

鳥取大のテントを目指して下りはじめましたが…
そのすぐ後ろまでヒグマが迫っているのに気がついたのです。

パニックに陥った5人の内、最初に襲われたのは河原吉孝さんでした。
草が生い茂る中で悲鳴と「チクショウ」という声や揉み合う音が聞こえたと言います。

その後、足を引きずりながらも鳥取大のテントの方へ向かって行った河原さん…
その姿が河原さんの最後となってしまいました。

残ったのはリーダーの竹末一敏さん、サブリーダーの滝俊二さん、西井義春さんの3人…
興梠盛男さんは、この時混乱の中ではぐれてしまっていました。

よつば
よつば
執拗に追いかけてくるヒグマにパニックにならないわけがありませんよね。

⑥ヒグマの襲撃:5回目

残った3人はヒグマから逃げ、恐怖に震えながら岩場で夜を過ごしたといいます。

そして、27日午前8時頃に下山するため移動を開始…
しかし、そんな3人の前にまたもやヒグマが現れたのです。

目の前のヒグマを押し避けてリーダーの竹末さんが逃げました。
その後をヒグマが追かけて行った
そう。

その逃げていく後ろ姿が、竹末さんの最後となりました。

残されたサブリーダーの滝さんと西井さんは沢を下り、ダムの工事現場で無事保護されています。

よつば
よつば
保護された2人の心境を思うと胸が張り裂けそうになりますね。

はぐれた興梠さんのその後

26日夕方のヒグマ襲撃時にはぐれてしまった後の興梠さんはどうなったのでしょうか。
その疑問は、遺体発見により解消されることとなります。

命からがら鳥取大のテントへ逃げ込んだ興梠さん。
27日午前8時頃まで恐怖に怯えながら隠れていたというのです。

この事実は、恐怖の中で書き綴った興梠さんのメモにより明らかになりました。

興梠さんはみんなとはぐれた後、鳥取大のテントを目指して走りました。
鳥取大のパーティーに助けを求めるため、必死にヒグマから逃げたのでしょう。

しかし、到着した鳥取大のテントはもぬけの殻でした。
福岡大の救護要請を聞き、笛などでヒグマを追い払う助けをしていた鳥取大ですが…
自分たちにも危険が迫っていたため下山していたのです。

興梠さんは絶望の中テントに留まることにします。
鳥取大の人たちが残していった食料や衣服などを借り一晩を過ごしました。

死の直前までメモを書かれていた興梠さん…
メモには日付や時間も記載されていました。

そのメモには、

「全て不安で恐ろしい」
「早く博多へ帰りたい」

など、恐怖や絶望が綴られています。

このメモから、興梠さんが27日午前8時頃までは存命であったことがわかっています。

恐怖のためか、メモはところどころ筆跡が乱れ、判読不能な部分も…
その後、興梠さんはテントにいるところをヒグマに襲われ、亡くなりました。

よつば
よつば
メモの内容がとても生々しく、興梠さんの恐怖が恐ろしいほど伝わってきます…

まとめ

今回は、福岡大ワンゲル部の生き残りのその後について調査した結果を解説しました。
事件の真相は、とても痛ましく、身につまされる思いがしましたね…

3人の犠牲を出したこの事件。
生き残った2人のその後については情報が少なく・・・
現在どうされているのかは分かりません。

少しでも2人が心静かにいられる環境であることを願うばかりです。

よつば
よつば
私たちができるのは、事件を教訓にして再発を防ぐことだけですね。